こらえのきかない人間


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 ハムステッドティーのティーバッグのカモミールを淹れて届いたばかりの『サザビーズで朝食を』の封を破いて、しめしめしめと目次を繰って序文をさらっていると、まさにこれは私がずっと知りたかった内容が書かれているぞ、という輝かしい予感に襲われた。作家や芸術に関わるその周辺の人に、私が必ずする質問の一つで、答えの無い質問だ。「絵画の価値って何が決めるの」。この本ではただこの一点に関して”恥知らずと謗られるほど勝手気ままに巡って見てゆく”らしいのだ。大きめの陶器のマグからは真っ白い紙片がぶら下がっていて、そこには非常に美しい細さの黒いアルファベットで”HAMPSTEAD TEA LONDON”とあり、それは本の表紙のアルファベットよりも数段美しいので、とにかく嬉しくなってしまう。
 ここまで来ると、もう何か書きたくて仕方なくなってくる。上の段落ほどの文章はもう頭にできてきてしまっていて、活字を読む目がおぼつかない。パタンと勢いよく閉じた本を傍らのコンソールに置いて、先程帰ってきて放り投げていたカバンからMacBookを取り出して書き出してしまうのだ。書き出す前に大きく一口カモミールティーを啜ったせいで、タイトルがこうなった。カモミールの鎮静作用で幾分冷静にこの状況を見たのだ。「書くという事は、どんな状況があろうと自分にとって良いこと。」という考えが哲学の先生に習って小論文を書いていた高校生のころから染み付いてしまっていて(その先生という人はニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を寝る前に毎晩読んでいて、もう100回以上は軽く通読した、君らも何か一つ作品を決めて生涯に渡って読むがいい。と指導するような屈託のある人物で、私はある時、水道の蛇口から水が出るように瞬く間に書き上げた小論文が、「羨ましいほど鮮やか」とその先生に絶賛されたもんだから、自分は軽くK大の文学部に入れて軽く小説家かジャーナリストになれると思い上がったのだが、K大には落ち、もちろん今そのどちらにもなれていない)、書きたいという欲望は何をおいても最優先されてしまうようだ。そのせいで、届いたばかりの本の序文のほんの数行を読んだだけで天にも昇る心地になり、もう感想めいた文章を書き出してしまう。
 カモミールの鄙びた香りが優しく私の肩に手を置いて教えてくれるだろう。あなたはこらえのきかない人間なのだと。