芸術と感情の記録」カテゴリーアーカイブ

スロギーのカタログ

July 31st, 2020

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スロギーのカタログに金原ひとみの短い小説があった。

初めて読んだ時から、かのじょの文章の構造とか嫌そうなところが好きだった。
同じ時に芥川賞を取った女の子の文章はよくわからなかったし、私の目に全然偶然飛び込んで来ない。

金原ひとみの文章は、予期せぬ時に私の隙間にプラティナ色の柔らかい蛇のようにするりと入って一瞬形に馴染んで、するりと出ていくような感じになる。

かつて、Hという男がいて金原ひとみと、もうひとりの芥川賞を取った女の子の間にいた。かれは2人の若い芥川賞作家と3人でミクシィのアカウントを共有して、入り乱れて文章を書いたりしてた。私の日記にもコメントをくれたけどそれが誰なのかは分からない。夜が明ける少し前の時空がねじれる瞬間に舌が火傷するほど熱いコーヒーを飲む、身体が火傷するほどあついバスに浸かる時間が好き、こういったのは一体、3人のうちのだれだったんだろう。

Hはやたら生命力が強いけど、片目を失明したし、今思うと、そのどれだけが本当のことだったんだろう。東京の街にあった看板の無い店で過ごした真っ白な冷たい十数時間、アヤとの話や、バレリーナの妹がスルメすら飲み込まない話や、高田馬場の山水ビリヤードの玉の色々。山水ビリヤードは一緒に撞いたから、あの色は本当か。

かれはもう、死んでいるかもしれないけど、たまにあの坊主頭を思い出す。Jに聞けば連絡先を知ってるかもしれないけど、私は多分聞かないと思う。人生にひとりかふたりくらい、ミッシングパースンがいるのも悪くないから。



(2019.4)


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北大路翼の俳句

June 2nd, 2020

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5年間のインスタ廃から抜けインスタ嫌いを自称してはや2年1
ブログ更新やイベントなどの告知に使うのでアカウントは消していないがアプリは消したのでロム専でもない。

 

インスタをやめると生活に品性が戻った。
しかし写真を撮り(デジタル一眼を使って撮影していたので撮影にもある程度の工数を割いていた)、文章を書く(短いものはその場で書いていたが、後半はしっかり考えて編集して書いていた)ことをしなくなったことで、次なる問題が出てきている。

 

独自ドメインのブログも持っている(ココ)。インスタと併用したいた時は棲み分けに悩んでいたが、今より更新回数は多かった。今はインスタをしていないので棲み分けに頭を悩ますことはないはずなのに更新をほとんどしていない。
このことは私を少しづつ悪くしていた。

 

高校の頃の倫理(哲学)の先生2に小論文の書き方を教わって以来「書くという事は、どんな状況があろうと自分にとって良いこと」という刷り込みがある私にとっては、逆の言い回しをすると「書かないこと、はどんな状況があろうと自分にとって悪いこと」となる。しかもその悪はウイルスのように私の細胞の中で活性化して繁殖しているようなのだ。

 

『アウトプット大全』3という柔らかめのハウツー本を読んだ。表紙からして相当柔らかいし、怪しいのでこの手の本は常に毛嫌いしている私だが、自分の中にいるウイルスが繁殖して蔓延しているのをどうにも御しきれず、薬代わりになるかもと購入して読んだのだ。内容は素晴らしいものだった。特筆するのは、SNSよりも独自ドメインのブログに書く方が良いという意見だった。これはインスタ嫌いには嬉しい意見。ソーシャルメディア(ここではFacebookと比較)を使うよりも5倍シェアされやすく、検索エンジンにも引っかかりやすく、自分で広告を貼れる、など技術的な面がその理由である。
しかし、アウトプット大全を読み終えてから1年が経っても私は書かなかった。

 

そんな私が再び書こうと思ったのは北大路翼の俳句を知ってからだ。

 

アウトロー俳句、なんて言われ、同じく稀代のアウトローでゴンゾーである石丸元章サン4と「屍派」を結成。歌舞伎町をぶらぶら歩きながら酒を飲みながら煙草をくわえながら小さな短冊に思いつくままに書く17文字の世界に頭の中が痺れた。シナプスがまるで謳うイルカみたいだ5、そしてニューロンの大発火6だ。

 

今、私は佐々木健一氏の『美学辞典』7を通読しながら基礎の知識を学んでいる8。哲学が生まれた古代ギリシア時代にはもう「美」についての議論がたくさんあり、その後「美」の概念は変遷し、特にロマン派の時代を経て今の「美」という概念が方向づけられた。といったような哲学の基礎のことを扱う。

 

そんな勉強の最中の「歌舞伎町60分100本勝負」9は衝撃だった。まさにこれぞ私の思う「美」であり「芸術」であり理想の形だった。むろん作品自体も、正面から直視できないほどの「真」だ。

 

 

* * *

 

 

「美」の定義のひとつに「端的な完全性」というものがある。そのものが何であるかを知らなくても、知識を度外視しても、それが立派だとか見事だとかということを「たちどころに」「直感的に」知覚するとき、私たちはそこに「美」を認める。

 

そのように知覚された「美」は「ことばにならない」ものだが、なぜ立派なのか、見事なのかを言葉によって捉えたくなるような欲望を引き起こす。作者の手から離れた作品には、見る者を動かす力が潜んでいる。優れた作品は自らをより良く、より長期に渡って評価されるように望むフシがあり、また自らを展開させようとする力をはらんでる。

 

私が2018年に大山崎のアサヒビール記念館で有本利夫の絵を観たときの強烈な体験10を構成する一部は、この作品がもつこの力によるものだったのだろうと省みる。私が感じた「喉まで出かかっている感じ」「あと少しで思い出せそうな気持ち悪さ」「言葉が出てこないのに胸がなにかの感覚に支配されている感じ」、それでいて明確な予感をもっている感じ。この全ては作品が持つこの力のせいだったんだろう11

 

優れた作品が例外なく持つこの「わたしのこと語りたくなってきたでしょう。なさいよ。」の挑発に乗ろうじゃないか。彼らは「語られることで磨かれる」ことを待ってる。磨いてやろうじゃないか。そしたらいつか、そこにボロボロになった布切れを片手に汗をかいて、瞠目結舌としたわたし自身が映し出される瞬間に立ち会えるだろう12。エクスタシイだ。

 


 


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95年の映画『Before Sunrise』(94年の夏)

October 24th, 2018

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 泣きながら渋谷のTSUTAYAで『ビフォア・サンライズ』のDVDを買って、週末を一緒に過ごしてアメリカへ行ってしまった彼のマンションのポストに入れた。もう再び会うことは出来ないと思ったからだ。あの時渡ったスクランブル交差点の真上の空の色を今でもはっきり覚えている。『ビフォア・サンライズ』を送った私に彼は『エターナル・サンシャイン』を返した。その彼はやがて夫となり、私たちは子どもも出来ないまま倦怠状態に入り、仕事の都合で物理的にすれ違いが多く、ケンカをするにもFaceTime越しという状況になった。もちろんケンカをしているつもりなのは私だけ。結構可愛かった私も、早くも劣化しはじめ、3ミリのポリープだって出来て、自分だって嫌だけど、自分を綺麗だとは思わない。

 『ビフォア・サンライズ』は、列車で知り合ったふたりの夜明けまでの数時間、つまりジェシー(イーサン・ホーク)がウィーンからアメリカに経つまでの数時間を描いた映画だ。これには『ビフォア・サンセット』という続編があって、9年後にパリで再会し、ジェシーがパリからアメリカに経つまでの数十分が描かれていて、これは公開されてすぐ観た。

 実は、さらに『ビフォア・サンセット』にも『ビフォア・ミッドナイト』という続編があることを昨夜知った。更に9年が経ち、ふたりは双子の女の子を授かっていた。早速『ビフォア・ミッドナイト』を観たら、『ビフォア・サンライズ』が観たくなり、当然『ビフォア・サンセット』が観たくなり、さらにもう一度『ビフォア・ミッドナイト』が観たくなり、そんな夜を明かした。





* * *

まずは主にイーサン・ホークについて





 やはりジュリー・デルピーの力が大きい。
 ウディ・アレンのような一見知的だがその実かなりトンチンカンなダイアローグ。しかも早口。しかも政治的で悲観的。そしてトンチンカン。(わたしはこの手のものが全く嫌いじゃないわけで、この人の『パリ、恋人たちの2日間』もかなりキョーレツで、ビフォア・サンセットに一瞬出てくるジュリー・デルピーの実の両親がガッツリ出てきて変なことを言いまくるシーンなどかなり面白い。)

 イーサン・ホークは”カーペディエムのやつ”、つまり『いまを生きる』を観てからなんか他人と思えない感覚がある。『ビフォア・サンライズ』を初めて観た時は隣に座ってうっとりしてたけど、いまこの映画を見ると、ちょっと自分がこの男子の「母親的な」見方をしていると感じる。ちょっと弱い、印象があるからだろうね。『ブルーに生まれついて』も弱くてかなり良かった。菊地成孔が粋な夜電波で「ヤングアダルト世代の監督と、イーサン・ホークは正しく病んでおり、熱心にラッパの練習をし、真面目にチェット・ベイカーを演じてみせたが、チェット・ベイカーの持つ甘い毒のような悪魔性を全く表現できなかった。単6度キーの低いMy funny valentineの歌声からもそれはすっかりわかってしまう」と言っていたが、私はイーサン・ホークを何故か他人と思えない人なので、この映画もすごく好感を持って観た。でも言われて見れば、イーサン・ホークは全然悪魔的じゃない。むしろクリーンでいることしかできない弱さの印象を与える。そこに私の謎の母性がまた反応したわけだ。

(上記、菊地成孔の話を鵜呑みにして、更に勝手に自分でイーサン・ホークを予断して書いていたが、Ethan Hawkeをフリー検索していてこんな記事を見つけた。やはりだいたいそういう感じだった。『ブルーに生まれついて(原題:Born to Be Blue)』のプロモーションでのインタビュー。Drugs don’t unlock one’s creative potential, they just deal with anxiety, Ethan Hawke said while promoting his latest film, Born to Be Blue, at the Toronto International Film Festival. <中略>“I don’t believe that the drugs helped Chet Baker play,” said Hawke. “I believe that he believed it. There’s another path to get there. Dizzy Gillespie was a family man and had a huge career and played without any drugs.” もちろんそうかもしれないけどさ。それはちょっとプロモーションとしてクリーンすぎじゃないだろうか。ドラッグという観点でガレスピーを比較に出すなよと言いたい。音楽自体を比較してほしい。しかも民主党支持公表者。まあそれは自由なんだけれどもね。)

すぐヤフオクで『ブルーに生まれついて(原題:Born to Be Blue)』パンフを1200円で落札し、勢いよく読み出したが、村上春樹の序文は持っている本からの引用だったし、菊地さんの解説は事前にラジオで聴いちゃってるし、大谷能生の解説に1200円払ったような感じだった。あ、むろんイーサン・ホーク本人のインタビューも載っていたが、海外俳優のインタビューにありがちなとっちらかった感じだった。驚いたことに彼はジャズが結構好きなんだと。ま、それでも無性に『リアリティー・バイツ』が観たくなっちゃっているけどね。むろん『ガタカ』だって観るしね。(後記:観ました。ウィノナ・ライダーかわいすぎです。あとジュード・ロウはいつも本物です。)





* * *



続いて3本の映画について。
映画の説明はしていない。鑑賞した人向けの内容になっている。





Before Midnight





 素晴らしい夜に、と貰った赤ワインが目の前にある。

 遠回しに、未来のことを全て刈り込むような会話だ。本心じゃないとは言わないけれど、いずれ本心になるかもしれない可能性の種を、見つけ出してうまく転がして実が熟したところを右手でもぎ取って、握り潰して床に投げてみせるような。もうそこら中、赤や黄色の実が潰れて飛沫が飛び散っている。けど不思議と不快な香りを発していない。

 相手の心の真ん中をつくような、棘のある言葉だ。けれどポキっと折れるような棘じゃない。その棘は伸び縮みするというか、不思議な温度がある。

 何度も部屋を出て行けるのは、二度と戻れないと思っていないから。安心感を壊すことで生まれる、高まり。別れたいんじゃない。愛されたいんじゃない。愛している時間を延ばしたいだけだ。時間は伸び縮みしない。けれど不思議だ。私を取り巻く時間は、緩やかなゴムのように伸びたり急に縮んだりするのだ。

 セリーヌが今日の私は美しいか?と聞くとき、ジェシーは94年の夏、04年の夏のセリーヌを重ね合わせて昔よりずっと美しいと言う。セリーヌはなぜかそれでは満足できない。私と一緒だ。ジェシーはある意味で94年の夏の夜だけで完結している。男の人は、たった数時間の思い出のような一夜で一生女性を愛せるのか?

 『ビフォア・ミッドナイト』には帰りの便はない。その代りふたりは裸になって94年の夏にタイムスリップしようという話で映画が終わる。衣服は時空を超えられないのだ。

 男女関係は時間がたつにつれて重苦しくなってくる。頭で考えてもしょうがない。軽い気持ちでいれば、風が吹いてふいっと持ち上がった寝癖のような気持ちの先端から、簡単にあの日に帰ることができるのかもしれない。





Before Sunrise



 グリースヘアのイーサン・ホークは記憶よりずっと馬鹿っぽかった。
 立て続けに重なり合うダイアローグに耳を塞がれて、感覚が研ぎ澄まされる。
 唇の香り。革のジャケットの香り、向き合うたびに擦れ合う革の音。髪の毛の香り、しっとりした指ざわり。草の香り、ひんやする背中。何よりもそのときの快感。腰掛けた噴水の、手に残った石の硬さの跡。
 赤ワインの香り、渋く酸っぱい唾液の味。腕や背中に軽く触れる指先の丸い感触、頬に触れたときの掌の匂い。一人乗る列車、背中だけが感じる機械的な振動、触れた窓ガラスの冷たさ。




Before Sunset



『ビフォア・サンライズ』は約束通り朝別れ、ジェシーが空港へ向かいお互い別れるシーンで終わっている。対し『ビフォア・サンセット』はこういう会話でぷっつり切れる。

「ベイビー 飛行機に乗り遅れるわよ」
「分かってる (I know.)」

なんて完璧な映画のエンディング。
踊るセリーヌが暗転してゆくリズムの中に、代わってゆっくりとニーナ・シモンの声がフェイドインしてくる間が完璧。縦長のフォントの間も完璧。

…といってもそう思ったのは実は続編を観た後の昨夜のこと。最初観た時には、このエンディングには色々な解釈があるだろうと思っていた。大人だからお金もあるし、次の便で帰るかもしれない。といったことを。むしろパリに残る選択肢なんてあるだろうかと。(まさにキリンジの『愛のcoda』の世界的な。)そんなことを考えてニーナ・シモンのフェイドインを味わう余韻はなかった。

けど、色々な解釈なんていらなかった、望むようにすればよかっただけのこと。
その先がわかっているから、安心しきって、このエンドロールに浸ることができる。

三作をループのように鑑賞して、このループにエンドがあるならここがいいなと思った。

ああ、やっぱり私は駄目な女性の典型なのかもしれない。けれど、いい女って一体なんだろう。





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白について

August 20th, 2018

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1. archaic smile of kore / 
アルカイック・スマイルの超越的なかげり

 インターナショナル・クライン・ブルーに電気的なショックを受けて突き進んだこの調査だが、青にインパクトがあればあるほど、白の世界はいつも静かで涼しく私を包んだ。白はベイシックであり、クラシックであり、抑制されていながら温かみがある。このイメージをもって想像を膨らませたらまず出てきたのが、大理石の彫刻だった。古代ギリシア美術の書物を繰ってゆくと、柔らかい白さがたっぷりと、鮮烈な青たちにやられた目を満たし、休ませてくれた。その中で一等惹かれたのが、このアルカイック・スマイルのコレー(少女)だった。アルカイック美術は古代ギリシア美術クラシック期の前身となる様式である。「古拙な・稚拙な」とか訳されて、完成品としてのクラシックに対して未完成な前段階にあることを意味する言葉として使われる。古代ギリシア美術は非常に完成度が高く、その後現在にまで続く美術史の原点と言われている。このアルカイック・スマイルはさらにその原点と言えよう。アルカイック美術の作品の主体はクロース(少年)とコレー(少女)だ。軽い笑みを浮かべ、骨盤を固定した状態で直立するか、かるく左足を前に出している。この静止、直立不動は技術の不足からくるものではない。それは「意識的な精神の所作」である。ギリシア人は万物には秩序がなければならず、秩序があることは善にして美であると、本来的に考えていた。ここに静かに流れるものは「制約」である。アルカイック・スマイルは「保たれた秩序、調和、善そして美」に浸っているような快潤な笑みだ。しかし、この「笑み」をじっと見ていると、何か儚い思いに駆られる。消えることが予めわかっているかのような。いや、事実アルカイック期を経て、クラシック期に入ると、その笑みは消えるのだ。アルカイック美術では人間を、精神と肉体が分離されないひとつの生命体として捉えられていた。この後、クラシック期に入ってゆくと、この笑みは消え、深い重々しい真面目さがこれに代わる。精神と肉体は別れて、精神的な面が人間の主体を占め、内省的とか精神的などが課題となってくる。公の場で生活感情を出すことは教養のあることではないとされた。筋骨隆々な肉体は強い精神性を増強するように追随しているように感じられる。動きも出てきて自然だが、何かどこかが不自然だ。アルカイック・スマイルに関しては、様々な考え方がある。この独特の笑みは一種の「超越的なかげり」を持っているという学者がいた。私にはその言葉がしっくりきた。そのかげりはまるで「”人間がひとつの容れ物に肉体と精神を容れて満たされる” という最低限の慎ましやかな秩序」の崩壊の兆しのようだと、私は思った。その予見が抑制された笑みや体勢から醸し出ているかのように思ったのだ。
/ペプロスのコレー 前530年頃 および スフィンクス 前500-530年頃 アテネ アクロポリス博物館『新潮古代美術館4 永遠のギリシア』(新潮社) 澤柳大五郎氏、村田数之亮氏の項を参照





2. 玉器/玉の持つ5つの徳

 中国において古代から近代まで一貫して、支配階級が求めてやまなかったものが、玉器である。玉に関する明確な規定・解釈はすでに後漢の時代から始まっている。この定義に、私は激しく胸を打たれた。後漢の許慎は『説文解字』の中で、玉とは「石の美なるもの」であり「それ自体に”五徳”がある」と玉を初めて定義している。この許慎がいう五徳とは次の通りである。「光沢に潤いと温かみがあるものが、仁。外から見て中の色が分かるほどに透明度が高いものが、義。叩くと澄んだ美しい音色を発し、その音が遠くまで届くものが、智。折れるまで曲げることができないものが、勇。鋭利だが人を傷つけることがないものが、潔。」これは、玉材の属性から派生した観念である。この「仁・義・智・勇・潔」の調和の取れた徳のかたち、それこそが物体としての玉であると言うのだ。最後の「潔」は「潔白」という言葉から白さを連想する。イブ・クラインが物体としての「青」に精神性を求めたように、中国では山から玉を削りだし、細部に渡るまできめ細かく彫りこみ、玉の持つ内なる精神性を形にした。玉器は「形と精神を兼ね揃えている」といえる。ギリシア美術では、彫刻家が捉えた「人間や神に宿る肉体や精神」を大理石に移し入れた。だが中国では素材そのものが「徳」をもつとされ、その「徳」をいかに表出させるか、という方向になる。古代中国の玉器は様々な素材があるが、中には大理石(炭酸カルシウム)も含まれる。同じ素材に対して、捉え方が全く違うのだ。
/玉熊虎相門文板飾 漢 天津市芸術博物館蔵 および 玉狗 清乾隆 故宮博物院蔵『中国美術全集9工芸編 玉器』(京都書院) 楊伯達氏の項を参照







3. 風化した牡蠣 /白出所の貝

「青出処の石(あおいづるところのいし)」をラピスラズリとしたのだったら、「白出処の…」は石ではなく貝だ。厳密に言えば、風化した牡蠣で、さらに厳密に言えば、そこから採れる「炭酸カルシウム」だ。これこそが、様々なものの白さの根源。ギリシア美術の大理石の白さも炭酸カルシウムによるもの。そもそも「大理石」という名前は中国から来ている。1000年頃に中国で興った「大理国」というところでさかんに産出されたことが名前の由来。これは日本語の由来なのであり、大理石、いわゆるマーブル石はギリシア・イタリアでもよく取れたというので、それよりももっと古い時代のアルカイック・スマイルのコレーは大理国の石で彫られたものではない。ラピスラズリ同様、炭酸カルシウムも酸に弱く、酸と反応してしまうと光沢を失ったり痩せたりしてしまう。(大理石がキッチン天板に向かないのはこれが理由だ。)風化した牡蠣から採れる顔料が「胡粉」であり日本画に使われる。天然の白色顔料だ。「胡粉」の「胡」はシルクロードの先のペルシアから伝わったことを表す。一方で古代ギリシア美術では「鉛白(シルバーホワイト)」という白色顔料が使われていた。鉛を酸化させると出てくる成分であり、非常に被膜力があるので、強いコントラストが出せる。肌を白くすることに執着した女性たちは、古くからこれをおしろいに使ってきた。鉛による毒性が強いため、女性たちは中毒になりながらも美を保った。近代ではおしろいには「亜鉛華(ジンクホワイト)」が使われている。亜鉛華は毒性がないためベビーパウダーの原料にもなっている。またほどよい被膜力から、絵の具の原料にも使われている。女性の肌の白さを表現するために、ベビーパウダーを使用した画家もいた。(4.へ続く)
/https://www.advancedaquarist.com/2011/10/chemistry







4. フジタホワイト/シッカロールの肌


インターナショナル・クライン・ブルーに比肩するところには「フジタホワイト」を配置してみた。藤田嗣治ことレオナール・フジタといえば、「乳白色」の女性の肌を描いたことで有名。柔らかく、押せばへこむような皮膚。とことん彩度を落として、暗闇から浮き出るような、体の中に光源を隠し持っているような艶。この「乳白色」こそが「フジタホワイト」であり、長らくその技法は謎に包まれていた。それもそのはず、フジタ自身が独自の「乳白色の下地」の制作手法を画家仲間に知られないように用心していたからで、まことしやかに様々な説が囁かれ「秘法」と言われていた。しかし意外なところから、その秘密の「缶」が明らかになったのだった。それは土門拳が撮影した「アトリエのフジタ」からわかったのだ。フジタの技法を研究していた内呂博之氏は悩んでいた。それまでの科学的な調査により、絵の下地にいくつかの成分が使われているのがわかっていた。その中には「滑石粉(タルク)」や「亜鉛華(ジンクホワイト)」などがあった。下地の成分を構成するパーツは揃っているのだが、何か必然性に欠ける…そこに現れたのが、土門拳が撮影した「アトリエのフジタ」の、机の上に写り込んでいた「チェック模様の丸い缶」だった。側面には「Siccarol/シッカロール」としっかり表記されている。作画中の手元にわざわざ汗を止めるためにシッカロールを置くだろうか?とピンときた内呂氏が和光堂株式会社(シッカロールは同社の登録商標)に問い合わせたところ、調査で発見された成分と当時のシッカロールの成分が一致した。ここから内呂氏はフジタの乳白色の下地には、和光堂株式会社のシッカロールが使われていたという確固たる仮説を立てたのだった。画家仲間には手の内をひた隠しにしていたフジタだったが、熱意ある若き写真家に心を許し、アトリエへの入室を許可してしまったのだろうと内呂氏は推測する。「君には手法を盗まれる心配がないからな」などと言っていたらしい。もちろん、仮説は仮説であり、フジタは滴る汗を止めるために首元にたっぷりとシッカロールを擦り込んでいただけかもしれず、その際にパタパタとたまたま、シッカロールが絵に落ちただけだったのかもしれないのだけれど。
/裸婦 日本近代絵画全集 7 藤田嗣治(講談社)/『レオナール・フジタ』(東京美術)内呂博之氏の項を参照





5. アイリッシュクロッシェレース / 私は奴隷


数多い趣味の中でも、断続的に私を支配しているのが手芸だ。小学校3年生で編み物を初めて以来、中学では当時流行していた雑誌『CUTiE』のおしゃれキッズに習い、スカートやバッグなど簡単なものを作り始め、大学生の頃はファッションショーを開催するサークルに入り文化服装学院のテキストまで買い込んでデザイナー気取りだった。社会人になったらDMC刺繍糸を大人買い、着なくなったマルジェラのセーター切り刻んでアメリカンフックドラグ、そして図書館で偶然見つけた『初めてのアイリッシュ・クロッシェレース』という可愛らしい女の子が表紙の本で、その繊細で真っ白な世界に恋をした。その脚で新宿オカダヤへ直行、一式を買い込んだ。クロッシェレースとはかぎ針を使ってひと目ずつ編んでゆくレース。その中でもアイルランドでつくられていたクロッシェレースには特徴があり、薔薇などの花や葉っぱの立体的で小さなモチーフをぎっしり並べて、波編みで繋ぎ合わせてゆくため、表面に凹凸が生まれ非常に立体的に仕上がる。程よく高い難易度に寝食わすれ編み続けた。むら気の浅ましさで、難易度の高いところを済ませてあとは単純作業となったところで、もっと難しそうなものを作りたくなる。そんなこんなで製作途中のものが何個もあるのに、またオカダヤへ行くことになる。ある時、そんな自分の行く末を呪い、オカダヤの手芸売り場のおばちゃんに「わたしは作りかけの作品がたくさんあるのに、また新しいものに手を出してしまうんです、病気でしょうか」と話したことがある。するとおばちゃんはあっけらかんと言うのだ。「私もそうよ。ひとつも完成させなくても良いの。一生続きを作り続けてゆくのよ。」私はスンナリ得心し、おばちゃんをお釈迦様のように拝し、景気よく追加の道具を買い込んだのだった。このように手芸は間違いなく私を「支配」しており、私は一生その「奴隷」だ。

/蝶のモチーフ 自作





6. Macintosh /マッキントッシュのパーソナルコンピューターの黄ばみやすい白さ


白いものを探しはじめて、かなり初期に思いついたのが、この初期マッキントッシュの白だった。現在ではマッキントッシュはアルミボディに包まれているが、90年台中盤に初代iMacが出るまでは、このボディはこのザラザラとして黄ばみやすいポリカーボネイトだった。調べてみると、やはりこの黄ばみやすいポリカーボネイトには愛好者がいるらしく、たいそう黄ばんでしょうもなくなってしまったマシンを丁寧に分解し、パーツごとに過酸化水素水をハケで几帳面に塗った後、太陽の紫外線に当てて漂白成分を反応させ、キーボードのキーも全て外してジップロックで浅漬けみたいに漂白剤に漬け込んで、新品同様に復元している動画を上げているような好事家もいる。レトロと言ってしまえばそれまでだが、この白ともベージュともグレーとも言い難いプラスチックの塊は、風情がある。優雅に古味を帯びているわけではないが、病院などで見る古ぼけた嫌なベージュという風でもない。やはり、あのザラつきのあるくすんだ白いMacで、チロルチョコレートみたいなキーボードをパンチしたい気持ちに駆られる人間は少なくないのだ。
WHITE版<完>
/初代Macintosh https://gigazine.net/




これは2018年8月阪急うめだ本店スーク暮しのアトリエでの展示のために書き下ろしたものです。
歴史や芸術の解釈には諸説がございます。あくまでも私説とお考えください。またこれらの調査は夏の自由研究であり営利目的ではございません。




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青について

August 20th, 2018

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1. International Klein Blue(IKB) /
インターナショナル・クライン・ブルー

 今回の催しのために「青」を探していたとき、私は父親に相談した。父親は芸術や色々な方面に明るい。「青といえば?」父親はすぐさま私の意図をみてとり「クラインブルー」と言った。イブ・クラインのことは知っていたから、私もすぐさま、この企画の中枢は、この人の青であると直感した。
 1957年にフランス人画家イブ・クライン(1928-1962)が開発した色。単色のみで描くモノクロニズムの画家だが、特に青を重用し、その青色で特許を取った。彼が青にのめり込んでいった経緯はこうだ。10代の頃、盟友のアルマンとパスカルと共に旅をしたときのこと。地元ニースのビーチで寝そべっていた3人は突如「世界を3人で分割する」ことを思いつく。アルマンは大地、パスカルは空気(言葉も含む)、彼は惑星を取り囲む宇宙空間を得た。むろんこれは「ポーズ」であり、実際に彼ら3人の若者が世界を分かつ力を持っていたわけではない。しかしイブ・クラインの、この空に対する象徴的な「ポーズ」は、以後の彼の芸術性を推し進める力となる”青い予見”を与えた。また、20歳のころロンドンの画材屋で働いていたときに、パステルの輝きに見とれた彼は、粉末状の純粋な顔料のもつオーラにはまり込んでいった。それ自体が本質的に「色」であり、強烈に「色」であり、また「物質」であることに驚喜した。しかし顔料は必ず膠などの展色材と混ぜて使わないと定着しない。これを混ぜ合わせてしまうと彼の望む輝きが失せてしまう。そこで彼は粉末の輝きを殺さない特殊な合成樹脂を混ぜてローラーで塗って定着させた。
 イブ・クラインは、このように空や色などといった形のないものと、「形のある青」を結びつけることにこだわった。その根本にあったのは10代のころ出会った「薔薇十字団」の経典だと言われている。詳述は避けるがこのマックス・ハインデルという人の教典の根底には「生と形体の両極性、そして両者の究極的な統合」という観念がある。彼の青いタブローや、青に関するコンセプチュアルなアート行為は、すべて自分の信仰を具現化する行為だったのではないかと、美術評論家の東野芳明氏は書いている。そして私もそうであったら良いと思う。信念を見出し、それを考え、祈り、それを形にすることほど尊いことはあるまい。
 この青は単なるウルトラマリン(に限りなく近いブルー)だが、イブ・クラインの青は、眼の豊潤な体験だけに淫した、強い知的快感を与えてくれる。この知的快感は、青と白の間を限りなく行き来した私のこの夏の快感そのもので、それはイブ・クラインの企みそのものだったのかもしれない。この文章はこの色の名前と同じ名前をもつ曲を聴きながら書いた。
/Monochrome bleu sans titre(IKB) 1959 メニル・コレクション蔵『Centre georges pompidou Yves klein』(Le Musee)





2. lapis lazuli /ラピスラズリ

 ウルトラマリン(77007)の顔料の原料となる半貴石。ウルトラマリンとは「海を超えて」という意味。ここでいう「海」とは地中海を指し、超えてきたものこそが「ラピスラズリ」である。主にアフガニスタンで採掘され、ヨーロッパへ渡った。原石を顔料にする技術が複雑であったために最も高価な顔料となり、金と同等かそれ以上の価値があった。壁画や絵画などに使われたが、とにかく高価であるため、滅多なことでは使用できなかった。天然のウルトラマリンを使った画家で有名なのはフェルメールである。あのミルクメイドの前掛けがウルトラマリンの塊である。この青が、注がれゆく牛乳の白をより白くしている。この絵のオーラはこの石の青さによるものが大きい。
 本物の天然ウルトラマリンは酸によって分解し、色を失う。例えばレモン汁などをたらし、硫黄臭を放ちながら透明な灰色に変わればそれはウルトラマリンであると判断できるというのだ。青の補色である黄色をしたレモンが青を捕食するとは面白い現象ではないか。
/http://www.istone.org/lazurite.html






3. The Wilton Diptych(right) /
イングランド王ウィルトンの二連祭壇画(右)

 ラピスラズリの塊といえるような50cm ×30cmほどの大きさの小さな中世後期の祭壇画。旗を見ての通り、イギリスに関連している。リチャード二世がイングランドを治める王権を聖母マリアとキリストから授かるという主題のこの祭壇画は、蝶番で二枚の板が接続されて本のようにたためるようになっている。左側の板と右側の板にそれぞれ絵が描かれており、これはその右側の絵の部分である。左側には跪き祈りを捧げるリチャード二世が描かれており、それを右側に描かれる聖母マリア、幼児キリスト、そして11人の天使たちが受けるという図式。リチャード二世がイングランド国王になったのが11才の時だったので、天使が11人描かれており、天使たちは全員、リチャードの副紋章である白い雄ジカの飾りをつけている。幼児キリストを抱く聖母マリアは、キリストの足を掲げ、磔刑時に釘が打たれることを暗示している。
 ラピスラズリから精製した天然のウルトラマリンは滅多なことでは使用できないと先述したが、このような聖母やキリストを描くことこそ「滅多なこと」であり、キリスト教における精霊のシンボルカラーである青は金より貴重な天然ウルトラマリンを使って描く価値があった。
/作者不詳 ロンドン ナショナル・ギャラリー蔵 『l’art gothique』(Citadelle & Mazenod)






4. 瑠璃 /七宝のひとつ

 濃い赤みのある青色を瑠璃と呼ぶほか、ガラス、ガラス工芸の古称であり、韓国語ではその名残でガラスを「ユリ」という。仏教世界の中心にそびえ立つ須弥山で産出される宝石で、仏教の七宝(金・銀・瑠璃・玻璃・しゃこ・珊瑚・瑪瑙)の一つ。日本では瑠璃の洋名をラピスラズリとすることが多い。
/藍色ねじり脚付ガラス杯 神戸市立博物館蔵 ”(中略)西洋製ドリンキンググラスのツイスト・ステムを意識したものだが、日本的な変容と美意識が見られる。”『VIDRO&GIYAMAN びいどろぎやまん図譜』(淡交社)






5. 鈴木其一の朝顔 /しゃべり続ける絵

 父親に連れられて2004年の東京国立近代美術館「琳派 RIMPA」展を観たのはいまから14年も前のことか。19歳だった私は、19歳なりに真剣に鑑賞したが、いつになっても父親が出てこなかった。母親と妹と三人でずっと売店で待っていた。すると頬を紅潮させた父親が出てきた。「いやーおれ、燕子花図の前でずっと泣いてた 途方もないわ」。19歳で生意気だった私はその時そんな父親を軽くあしらったが、何気にキョーレツな思い出だったらしく今でもその時のことを鮮明に覚えている。
 私はその後、断続的に色々な所で何度も光琳の絵を観ているが、先日京都の細見美術館で「鈴木其一」の絵を初めて観た時はそれこそキョーレツだった。これから書くことは完全なる私感なので聞き流してもらっても構わないのだが…鈴木其一の絵がべらべらべらと喋りだしたのである。静かにしている酒井抱一の野草かなんかの優雅な絵の横で、とにかくうるさい。「俺です」「俺こんなの描きました」「ちょっと今回は変わったことしてみました」「そんな俺です」こんな調子である、どれどれとその絵を観てみると、ぶっ飛んでしまうほど上手い。まるでアドビーのイラストレーターで描いたんじゃないかというようなゆらぎの無さと、プロダクト感がある。自己主張がかなり強い。だいたいは京都の尾形光琳も、彼を私淑した江戸の酒井抱一も放蕩的で放埒で無責任な時代があったようだ。真面目な人間は後世に残れないんだなとガックシくるが、其一のやりっぷりはすごい。子供の頃から弟子入りして世話になっていた抱一も死んでしまって江戸琳派のさらに後期であるからやりたい放題。号の「菁々(せいせい)」も光琳の号「青々(せいせい)」を射程圏内に定めた上のものだ。そのころはもう抱一は軽く超えていたような気でいたらしい。
 其一のこの青い朝顔図は父親が泣いた光琳の「燕子花図」の明らかな翻案であると言われている。光琳は伊勢物語の第九段東下りの場面をモチーフにしている。”其一の本作品は、すでにその色彩に秘められた文学的呪縛から逃れて自らのテクニックを造形的な美にのみ集中させているようにみえる”。其一が文学になんて興味なかったのか、切なくなるほど興味があったからこそ、興味がない振りをしたのか、腕が勝手に動き考えている暇もなかったのか知らないが、謙虚であったとは到底思えない。その溢れ出してしょうがない自己顕示欲は、愛おしい。父は光琳の途方の無さに涙したが、私は其一の途方の無い主張の強さと人間臭さに、意気投合してしまい仲良くなってしまったのだった。
/朝顔図屏風 Morning Glories メトロポリタン美術館蔵 『鈴木其一―琳派を超えた異才』(東京美術)








6. BORO /世界にわたった綿のボロ

 青山骨董通りの「古民芸もりた」を訪れたときのことをよく覚えている。小さな布の欠片は時を経てすっかり色褪せているが、褪せた色同士の組合せは非常にモダンで擦れた艷があった。ひとつひとつの布切れをみていると、この布切れはどんな着物の一部だったんだろうと想像が膨らんだ。その後手に入れた店主の著書でBOROというものを知った。藍一色の擦り切れた人型の綿の塊には確実に魂があり、それを着倒した人物の気迫の激しさに思わず目をつむりたくなる。一般に襤褸と呼ばれる絹のボロに対して、森田氏が名付けた綿のボロはアルファベットだ。青山のお店の店頭に置いていたこの「たっつけのボロ」がニューヨークの有名なファッションメーカーの部長の目に止まり、拾い上げられてから綿のボロはBOROになったと森田氏は言う。なんでも海外のデザイナーは、これらをひとつひとつのピースに解体して再構築してリデザインするために日本のボロをどっさり買ってゆくのだそうだ。流通価格はかなり高い。これは知り合いの道具屋さんに聞いた話だ。


/『布の記憶』(青幻舎)






7. McIntosh /マッキントッシュのアンプ 

 この夏はずっと青と白のものを探していた。ある日、父親と顔を突き合わせてこの件について話していると、そこに父親の知り合いの「本屋の佐々木さん」が来た。引きが強いものだ。本屋の佐々木さんは大変に博学であり好事家であり食いしん坊なのだ。食いしん坊はさておき、私はさっそく自分の考えていることを本屋の佐々木さんに話しまくった。アレとかコレとかああいったモノをああしてこうして…と。すると佐々木さんはすぐさま、とめどもなく青いものや白いものを羅列してくれてそれを繋げようとしてくれる。その波に溺れそうになったときに、すでに白の候補にあがっていたマッキントッシュ(白の解説を参照のこと)のことを話したくて「例えばマッキントッシュとか」と私が言うと、我が意を得たりといったように「ああ。マッキントッシュの青ね」と本屋の佐々木さんは言うのだ。私は「え?マッキントッシュといったら白のポリカーボネイトでしょう」というと、数秒ののち「ああ、そっちのマッキントッシュの方ね、当然アンプのほうかと思った」と言うのだ。
 これは面白いすれ違いだった。私のような柔らかくて薄っぺらい人間にとって、マッキントッシュといえばスティーブ・ジョブズのアップル(Apple Inc.)の「マッキントッシュ(Macintosh)」しかない。しかし本屋の佐々木さんのような硬派な好事家にとってはマッキントッシュといえば、アンプメーカーのマッキントッシュ・ラボ(McIntosh Laboratory, INC) の「マッキントッシュ(McIntosh)」なのだ。その特徴的な色をした対のメーター窓は「ブルーアイズ」と呼ばれてオーナーの所有感を満たしているという。
 思わず力んでいた体が解けて、眼鏡を外したような心地がした。この本屋の佐々木さんとの軽妙なエピソードをもって、この夏の研究のエピローグとさせてもらいたい。BLUE版<完>





これは2018年8月阪急うめだ本店スーク暮しのアトリエでの展示のために書き下ろしたものです。
歴史や芸術の解釈には諸説がございます。あくまでも私説とお考えください。またこれらの調査は夏の自由研究であり営利目的ではございません。



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