エクスタシイについて


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渋谷のかきもの
2019年6月10日(月)14:10-14:55放送
https://note.mu/shiburadi/n/na8d44b7fa1dd

 

最近私に会った人は、クドクドクドクド私の思想を聞かされて、最後に「人工甘味料三兄弟1はだめ!!」と言われる。「夫の都合」という呪縛から自分を開放し、この夏をもって大阪生活に終止符を打つことを決意してからというもの、そして宮台真司の法外の享楽という考えに出会ってからというもの、目に入るもの耳に入るもの全てが輝き、自分が自分に戻る、いや更に次の自分になっていくようなエナジーに満ちております。

 

そのへんの話をラジオで話しました。上記のURLのリンクから聴けますのでどうぞ。

 

しかし振り返るとたっと2年だった大阪生活は、私の人生に来るべくして来た機会だった。それまでいたクラウドからひとり知らない土地に引っ越ししたことは、激しい孤独を伴ったが、何よりも自分を取り戻す機会となった。

 

大阪の「鉄の民家」という私塾についてはインスタグラムに何度か書いているが、大阪へ転居する半年前に得た縁だった。そのまま導かれるように転居が決まった。鉄の民家の松元先生とは最初に電話でお話した時から、やたら話が合うなと思っていたが、その後のシンクロニシティは凄まじいものがあり、話し込むうちに、自分の頭が彼女の中に入っているのか、彼女の頭が私の中に入っているのか、わからなくなることもしばしばだった。この人と彼女の家族との出会いは大阪生活の最重要事項となった。いつも温かく家族ぐるみで私を支えてくれた。人生で何度もない不思議な出会いとなった。

 

仕事を一緒にしている夫の母との関係も、この2年間お互いに離れたことで大きく形を変え、新しい関係に突入しはじめた。大阪にくる直前は距離が近すぎた。それはお互い無我夢中でお互いを知ろうと努力する期間だった。けれどもこの2年の期間でそれぞれが自分の考えを持った上で、お互いの意見を尊重できる関係に変わった。私も、もう闇雲に夫の母に自分の考えや態度やを合わせることは無くなり、今では夫の母の前で嫁というTPOをわきまえることを辞めた。これが出来て心の底から母に感謝できるようになった。それよりもっと前から、この私と母の関係の周辺で、私を気遣ってくれた叔母たちや夫の父〈お父さんは写真家なので写真やカメラの話で最初から比較的話が合った)、そして夫の姉(美容おたくで有名な)には今から恩返しをしないといけない。

 

また、変化すること、順応すること、移動すること(なぜか知らんが移動しまくりの2年間だった)を強要された。だがなんとか耐えたら、それがへいちゃらになった。しかし今年に入ってから激化し、金銭的、物理的に破綻をきたし始めていたので、このタイミングでホッとしている面もある。

 

面といえば、大阪の最大の魅力はうどんだった。関西ではストレートの出汁のパックとソフト麺がスーパーや商店に売っている。関東の人は濃縮のそばツユが小さなパウチに入っているやつを想像したかもしれないが、それではなく、関西風のうどんのおツユが、本当にストレートで一杯分入っているので容量としては糸こんにゃくのパックくらいである。私は近所に阪急オアシスという阪急系列のスーパーがあったのでそこのプライベートブランドのツユと、石田製麺所というところのうどんとそばのソフト麺をストックしていた。どちらも冷凍が可能だ。シンプルにやるならこのツユに松山あげ(南関あげでもOK)、太く斜めに切った九条ねぎを入れて煮立てるだけ。ツユに軽く味がついているのでこれだけでいい。大阪に越して来て1ヶ月くらいのころだったが、腰を抜かすほど美味しかった。夫も腰を抜かした。今まで食べていたうどんってなんだったんだろう。なぜ家で、なぜこんなに簡単に美味しいものが食べられるんだろう、としばらく疑問で頭が働かなかった(箸は動いた)。むろん、ここに「やまつ辻田」の山椒をどっざりふりかける。また鶏肉があるときは、ツユに鶏肉と九条ねぎを入れ薄口醤油で軽く調味するだけで、関西風の鳥なんばになる。私はこれを経験して関東風の色の濃いなんばはサブに落ちた。なんばといったらこれ。(なんなら大阪のなんばでこの青ネギがたくさん取れたから、ネギの入ったツユをなんばといったと聞いたことがある〉ツユは透明で青いネギ、そばでもツユは透明が好ましい。むろんここに「やまつ辻田」の山椒をどっざりふりかける。エクスタシイだ。


おたのしみ脚注

  1. 長男アスパルテーム、次男アセスルファムK、三男スクラロース。三人で出る場合、長男だけ出る場合、長男と三男の組み合わせ、など色々。入ってそうな製品を手にとって「ホウ、三男ひとりで頑張ってるか」などと呟いて活用する。