先日「グッドフェローズとカジノのシーンの区別がつかなくなっている場合じゃない」という謎の恐怖感に突如として襲われた私は、慌て急ぎプライム・ビデオでグッドフェローズを再生し始めた。レイ・リオッタってハンニバルで脳みそを、なんかハーブ香る結構旨そうなソテーにされるムカつくFBIの人っていう印象しかなかったけど、グッドフェローズでは素晴らしく男前。ありとあらゆる映画を、まずグッドフェローズと対比させて語る「グッドフェローズ論法」が出来るくらい、しっかりと観込んでゆくぞ。スコセッシのマフィア映画はジョー・ペシ(人を殴る時にカメヒ!カメヒ!と連呼する。come hereの意)のせいで「すべて同じ映画」という錯覚に陥るから、鑑賞中は彼を注視しないようにしなくてはならない。もっというとデニーロも注視しすぎたらあかん。パチーノもだめ。これらの組み合わせで記憶がこじれてくるからだ。あと女たちの可愛らしさや弱さはパターン化されててあとでどの女がどの映画かが全く分からなくなってしまうからこれらはよく観て違いをわかってなきゃいけない。が無論あまり注視してはならない。あくまでも目に見えないストーリーを見るだけだ。レイ・リオッタもよく観すぎると危うく惚れそうになるので注視してはいけない。それとその直後にカジノを観がちなのだがペシとデニーとのコンビとキャラ感が酷似しており一気に観ちゃうとごっちゃになるのでこれもだめ。つまりは #なにも観れない 。
