天神のバスセンター


Photo-1594  母が自分の母の危篤の連絡を受けて帰り、天神バスセンターから病院に電話したとき、もう息を引き取った後でした。

 私はまだ、物事がわからない子どもでした。死んだ祖母の記憶はほとんど無く、その日の記憶もありません。去年の夏に両親と夫の4人で母の実家へ行った時に、福岡空港から乗ったバスが天神のバスセンターに着いた時、母が何気なく話してくれました。私も成人して随分経ちますが、知りませんでした。物心がついた頃にはもう、祖母は母の話づてに語られる存在でした。母が語る自分の母の像を、私もそのまま聞いていましたので、私にとって死んだ祖母は、祖母というよりも、母の母という、もうひとりの母、というような感覚でいるかもしれません。

 先日夫とふたりでまた母の実家を訪れました。バスが天神のバスセンターに着くと、32歳のまだ若い母の気持ちになって、自分の母の死のように祖母の死を想いました。これは、母が死ぬことの想像ではなく、もうひとりの母の死なのです。私と母が同一人物になったような不思議な感覚でした。