岡本神草の時代


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 父親に「京都で岡本神草の企画展がはじまったから観に行ってくれよ。それで図録も買っておいてくれ」と言われて「ハイハイ」と言って聞いていたが何度も催促するので、ちゃんと手帳に書いて予定した。
 ところがその日が来る前に、デートで京都へ行く機会があり、なかひがしの秋に舌鼓をうって南禅寺で紅葉を鑑賞した後、ふらふら歩いていたら、目の前が京都国立近代美術館だった。来週こようと予定していたけれど…タイミングが良かったので飛び込んだのだ。

 デカダンでちょっとエグめ?の芸姑たちの絵、は実はあまり食指が伸びていなかったのだが、ちょっと仰天した。はっきり言って何が良いのか説明できないのだが、作品から出る力が強い。

 特に冷気を感じたのが《「拳を打てる三人の舞妓」草案》と同じくその習作である《「拳を打てる三人の舞妓」習作》だ。草案は墨や木炭で紙に描かれたものだ。三人の舞妓が拳遊び(狐拳)を打つ姿の絵だが、その手元を幾様にも書き込んでおり線が混在している。この手元を描く複数の線が「時を歪めたような怪しさ」を呈している。スローモーションのようにコマ送りで描いたというと簡単すぎるが、いわゆるそういう事を言いたい。
 習作は絹本着色となっている。真ん中の舞妓の顔部分が切り貼りされたようになっており、白い枠で大胆にトリミングされたようになっている。これは習作だと分かって観ているのだが、作品の出す力が止めようもなく溢れてしまって収集がつかない。完結されていないからこそ、その勢いが終着点を与えられないまま、絵の中でそのまま無限ループのように渦巻いているような感じだ。

 この絵に関してしっかり解説を読み込むと、面白いことが書かれていた。
まず習作で真ん中の舞妓の顔がトリミングされているのは、母親の来訪により制作を中断せざるを得なくなり、全図を描ききれず中央部分のみを切断して出品したせい。そして、それを経てやっと完成させた作品からは、元の作品にあった神秘性を感じることは出来ない。とのことだ。これは鑑賞時にまさに自分自身で感じたことで、草案に近ければ近いほど、ぞっとする神秘性があった。その神秘性は中央に置かれた真っ白な徳利に集約されていて、その真っ白な徳利は奇妙に空間から浮き出して見え、更には、なで肩の首なし女に見えてきて危うく気分が悪くなる。展覧会のポスターに使われる絵は既に広告の段階で何度も目にするので、実際の作品を目の当たりにしたときに感動が薄れている場合と、逆に異常に惹かれる場合との2パターンがあると思っている。この絵は完全に後者であり、むしろ印刷物では表現できない何かで主に構成されているとさえ感じた。絵の大きさも関係しているのかもしれないが。

 その後の作品で目を引いたのが《五女遊戯》である。温かいお湯の中で血が滲んでいるような生温い生臭さを有するこの作品は、その浮遊感と、病的な感覚が絹に滲んでいる感じが良いと私は思ったのだが、「当時の画壇では到底受け入れられるはずもなかった(解説より)」そうだ。その理由は当時の画壇が「こぞってヨーロッパへ渡り、油絵具による写実の重厚さを実感して帰国した官展、国展、院展の中堅日本画家たちが、油絵具の真似をして鮮やかな色をわざわざ濁らせなくても、日本画の材料や技法を生かす道があるはずと、東洋絵画の古典に学び直そうとしていた(解説より)」からだそうだ。いやこういう画壇の動きというものは、後から考えると面白い結果をもたらすものなのだ。近代で評価されなかった絵を「良い」と思う人間が現代にいる。そしていずれまた「良くない」と言われ、それが続いてゆく。その議論が止まった時、以後議論が一切必要とされない本当の「名画」になるのか?この手のことを考えていると、絵の価値ってなんだろうと、脳みそが豆腐みたいになってゆく感覚がする。

 頼まれていたので当然図録も買ってきたのだが、帰宅して図録を開いて愕然とした。全くあのオーラを眼に再現できない。ポスターの件でも思っていたが、やはりそうだった。順路の前半で出てきた《秋の野》も《藤の花》も凄く綺麗で心が動いたのに、こんなにちっちゃく載せられては何もわからない。これはまずい、父親にどれだけ生の絵が凄かったか、そしてそれは図録からは伝わりづらい、ということを予めよくよく耳に入れておかないと。こんなことを話したくて父に電話をしたら、出掛けていて不在だった。母親がひとりでたこ焼きと寿司を買ってきてビールを飲んでいたらしいので、話し相手になってもらった。

 私の母親は武蔵美を卒業した後、しばらく日展の事務所で働いていた。当時ちょうど文展時代の回顧展をしていたらしく、仕事で大正時代の日本画作品に数多く触れていた。私が岡本神草について「ちょっとグロ系で正統派じゃないんだけど、よくわからないけど凄かった。なぜだろう」と話すと「力があるんだね」と。そうか、この人は力があるんだ、と妙に腑に落ちたのだ。母から、その時代の日本画に興味を持ったなら、とりあえず竹内栖鳳、川合玉堂と堂本印象を観てみたらいよと。この歴々は当時の画壇の中心人物だった。ただ画壇を牛耳っていただけじゃなく、気韻生動、本当に作品に力があった、堂本印象の襖など圧倒的だった、その場に釘付けになったと当時の瑞々しい感動を話してくれた。調べると京都に堂本印象美術館があるらしいので、春になったら行ってみたいと思う。

 図録の解説によると、岡本神草は絵専の卒業制作の《口紅》が竹内栖鳳の目に留まり「大變にいゝ繪だと思ふ。(中略)夫れは理知の閃きを全然忘却した渾然たる妖味のある艶麗さで…云々」と言わしめたことで全国デビューに至ったとのことなのだ。当時は京都画壇の首領ともいうべき竹内栖鳳だったらしい。

 またこんな面白いエピソードがある。当時、国画創作協会というのに出品された岡本神草の《口紅》と甲斐庄楠音の《横櫛》はよく比較の対象になるようだが、それぞれ土田麦僊と村上華岳の庇護を受けた。土田麦僊は《口紅》を村上華岳は《横櫛》を推薦した。両者は譲らなかったので間に入った竹内栖鳳によって別の作品が入選した。この話はとても興味深かった。というのも、この展覧会でも展示されていた甲斐庄楠音の《横櫛》を、私はちっともいいと思わなかったのだ。いやむしろ生理的に受け付けず、目を背けたと言っていい。そして同時に私は村上華岳にもピンとこない。逆に土田麦僊は大好きだ。これはもちろん個人の好みの範疇だが、範疇というのは機能しているのだ。岡本神草の絵は濃厚な官能性がありながらも、どこかがポンと抜けており、その穴にはどこか宗教めいた、人間離れした、説明できなさの気配がする。その浮世離れした点がこの人の作品にある種の清潔感を与えているような気がするのだ。逆に甲斐庄楠音の《横櫛》にはその穴がなく、風通しの悪い感じの雰囲気がする。土田麦僊は甲斐庄楠音の作品を「穢ない絵」と言ってしまっている。

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 後日、父親とこの件について会話することが出来た。その中で印象的だった話を羅列しよう。
「バレエの白鳥の湖は当時酷評されたんだ。振り付けがバレリーナの身体の美しさを表現していないと。でも今となっては古典になってるよね。一方でどの時代にも『時代が呼び合うような』作品って存在するんだよね。そういう作品って、圧倒的ではないんだ」「ま、でも『マニフィカトの聖母』みたいにどんな時代のどんな宗派の人がみても圧倒的な作品は存在すると俺は思うけどね。この歳になって俺の好みって結局、装飾的な部分が基準になってるんだって思ったんだ」「俺、『君にどれでも好きな絵画をあげる』って言われたら、やっぱりワイエスなんだよね。装飾的じゃないって?ディテイルなんだよ。ワイエスは。ぱっと見てそうは思わせないけどね」「あ、有元利夫の回顧展が関西でやってるはずだ。行ってくるといい、おまえは気にいるんじゃないかな」