牡蠣的な人間


IMG_1478  「牡蠣的な」という言葉は、夏目漱石の造語でしょうか。

 『吾輩は猫である』に出てくる「牡蠣的主人」のことです。同じことを7,8年前に調べたのですが、インターネットに情報はありませんでした。この冬にまたふと、気になって調べたらいくつか情報が出てきていました。これは英語のoyster「牡蠣、または、無口な人」を、夏目漱石が大胆に訳したものなのだそうです。この夏目漱石のセンスには脱帽しますが、そもそも無口な人をoysterというのはいかがなものでしょうか。要は二枚貝ならいいんでしょう。もっと別の特徴のない二枚貝をあてがうべきです。シャコガイ的だとかタイラガイ的だとかマテガイ的だとか(どんどん好物になってゆくのでこれくらいに・・・)。牡蠣というのはもっと「繊細な、ナイーブな、傷みやすい」なんかいう印象が先立つ気がします。現に当初私は「牡蠣的主人」を「傷つきやすい主人」と勝手に翻訳していました。

 さて、春に浮足立っていたら冬が終わってしまったので急いでこれを書いています。スーパーで買ってきたばかりの牡蠣は幾分泥色をしており、ところどころに藻のような緑色のカスを帯びています。牡蠣は藻を食べているんですね。塩と片栗粉でもってやさしく指の腹で撫で回し、水で何度かすすぐと、うっすらと青みがかった腹と綺麗なヒダヒダが水の中でしっかりした輪郭をもって現れます。この繊細だけれども割りにはっきりした淡白と水の輪郭や、真っ白い内側のヒダ、焦げ付いたような外側のヒダを見ていると、傷つきやすい人間を見ているようです。融け合うわけでもなく、鮮やかなコントラストというわけでもありません。