藤島武二の2017年の回顧展


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 この夏に東京の練馬区美術館で行われた藤島武二の回顧展を私は敢えてパスして、秋深い小磯記念美術館で観ることを心待ちにしていたのだ。

 今日がその日だった。控えめな黒いタートルネックのセータに、ハイウエストのデニムを履いて、しっかりベルトをしめた。バーガンディーの口紅を塗って、腕時計をした。ピアスは最初、真珠をつけたが、思い直して小さなダイヤにした。あたたかい黒いコートに黒いバッグを持った。
 確かに秋は深まっていた。人気の少ない六甲アイランドにはかさかさの落ち葉がまばらに散っていた。コンクリートで固められた島には不思議な形の窓や、彩度の低いカラーをした中高層マンションが立っている。

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 私は、これらの絵を、別の美術館で観たかった。絵が泣き出しそうだった。展示に、愛や敬意が無い。絵が収まっている額も、この時代にこの絵が収まるのに適していないものが多かった。装丁が良いものは大抵は個人蔵だった。それでも、私は絵を丹念に観た。絵に全く罪はない。じっくり一度観てまわり、二度目は好きな絵だけじっくり観て、別れがたい絵があったので三度目はそれだけを観た。

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 藤島武二が教鞭をとった藝大の「藤島教室」の教え子だった小磯良平との比較をした展示は興味深かった。これは神戸独自の企画展示らしい。藤島は、ヴァーミリオン(朱)で生徒の絵に手を入れたという。小磯良平が在学時代に描いた『裸婦』の左耳や、右の乳房の稜線に残るヴァーミリオンは、アクセントとしても、エピソードとしても面白かった。

 小磯良平は美大生時代の父親が憧れた画家だ。父親曰く、垢抜けていて洒脱。確かに裸婦一つとっても構図や色調に奇をてらわない古典的なバランスの良さと抜け感がある気がした。在学中に描いた『彼の休息』も初めて観たが大好きな絵のひとつになった。“彼”の履く赤い室内履きから感じ取った、神戸生まれ神戸育ちの男の子のいかにも裕福そうな感じ(モデルは小磯の友人)。23歳の学生が描いたとは思えない。在学中から帝展(今の日展)に入選、特選。むろん首席で卒業で、むろん作品は学校買い取りだ。私は天才に弱い。特に気に入った裸婦のカードを買い求め、父親へ小磯良平記念館来訪を報告した。

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 話が小磯良平へ逸れた。

 順路を終えて、ショップに来たときに図録の見本を眺めた。よくよく考えたら生誕150周年記念なのに、『蝶』や『芳惠』などがなかった。これらの絵は70年代以降、世に出ていないらしい。“所有者もよくわからぬ中、今頃どこかで眠っている” といった内容のことが体よくふんわりと書かれていた。何かお伽噺にでも仕立てるつもりだろうか。私は悲しみ、泣きたくなり、図録の見本を置いて決してそれ買おうとはしなかった。

 代わりに、10年前にこの美術館で行われた『藤島武二と小磯良平展 ー洋画アカデミズムを担った師弟ー』の図録を購入した。この内容は今回の展示と同じものだった。考えたら藤島武二の回顧展を小磯記念館でやるのは自然な流れだったのだろう。でも、これらの絵は、環境などの見せ方を変えることでもっともっと良くなると思った。私は、これらの絵を、上野の西洋美術館で観たかった。私がとても好きな絵が、お金や愛やアイデアを受けられない形で、置かれていることが寂しかった。私はお手洗いで口紅を直してから美術館を出た。(2017.12.14)