02年の映画『セクレタリー』


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 E.エドワード・グレイの書斎に呼ばれた秘書のリーは、幾つかの質問を受けた。カメラは向かって右から回っている。E.エドワード・グレイの眼差しは柔らかく自然でとても「ノーマル」だ。そして質問は非常に「ストレート」で、リーの心をまっすぐに突くものだった。婉曲のない誤解の可能性だってある必要最低限の質問。しかしリーにとってそれはとても、好ましかった。
 その象徴としてのホットチョコレートを境にカメラの位置が変わる。ホットチョコレートはたいそう甘く、スクリーンの前の私の喉を熱く甘く焼いた。そしてカメラは真横に移動する。対等であることの象徴のような構図だ。
 ふたりを繋ぐチョコレートという記号。

 年明けからジェームス・スペイダーの出演作を観あさっていた。日本語訳が入手困難なものやDVD化されていない作品も多く、とりあえず手に入りそうなところはすべて入手して観た。セクレタリーはレンタルは無かったがDVDは販売していたので早くに入手していた。ただ彼のキャリアの後半の作品であり、現在のスペイダーが得意とする役の転機になったキーとなる作品であることを知っていたので、なかなか手をつけられず、ずっと枕もとの本と一緒に置いてあった。

 ある日の夕方、仕事も終えてしまい、ふとセクレタリーを観ようと考えついた。

 SMのエロティックラブコメディというのがこの映画を一言で説明する言葉かもしれない。コメディという表現は時としてとても示唆的な隠喩になる。表現が軽ければ軽いほど、そこに含まれる意義の輪郭がくっきり浮き上がることがある。ただ、その意義を解さない、もしくは全く違う価値観を持つ人には、本当の意味でのコメディにしかならない。そしてその逆の場合、コメディは、大切な大切なものを容れる、憂いを帯びた革張りの箱になる。

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 ホットチョコレートを飲み干したリーは、大きな川にかかった簡素な橋の真ん中まで行き、7年生の頃から親しんだ裁縫セットと絆創膏を勢い良く流れる川の水面にかざして、放った。かわいい蝶や花のステッカーが貼ってある紫色の裁縫箱の中には、自分の身体に上手く傷をつけられるありとあらゆる小さな刃物が入っている。バレリーナの人形の足の先だって、砥石で研げば太ももをつんざくのに最適だった。

 映画全般に渡って、リーは精神的に幼く、あどけなく描かれている。部屋にあるものも子どもじみていて、思春期のままだ。親も過保護だし、”mom”と”daddy”の呼び方だってまるで子どもっぽい。自分の性的な素質にも気づいていない。

 私に言わせれば、自傷行為だけでなく各所で挟み込まれる「水に潜る行為」もマゾヒスティックなフェテッシュだ。

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 弁護士のE.エドワード・グレイは耽美的なサディストで変わり者だった。彼はそんな自分を恥じていただろう。女性をマゾヒスティックな状況に追い込むことでしか自慰ができない自分を。
 そんな彼にとって、リーの幼さは救いになっていった。自分の欲望にどこまでも素直になることと、それを受け入れてくれる存在がいることの心地よさを、認めたい、認めたくない、認めたい…と自問する。

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 自己嫌悪に耐えられず、強引に解雇したはずのリーが戻ってきて、まっすぐな愛の言葉をE.エドワード・グレイに向ける。自分が戻るまで動くなと命じられたリーは3日間デスクに肘をついた「ふたりの愛の体位」のまま動かなかった。

 その無垢で透明なリーの存在で、E.エドワード・グレイは自分の欲望にどこまでも素直になることと、それを受け入れてくれる存在がいることの心地よさを、認めた。それはつまり愛だったということに気づくのだ。
 陳腐な表現だけど、これは愛としか言いようが無い。

 彼は冷たいチョコレートドリンクを片手に戻り、3日前と同じ服で同じ椅子で肘をついたままの彼女にそっとそれを飲ませる。書斎でのシーンと同じくチョコレートが愛の記号になっている。

 ここからはもう、息を止めていなければならないほどロマンチックだ。木製の、中世の耽美的なバスタブにお湯を張って、彼女の髪をゆっくり洗う手つきや、仰向けにした彼女のお腹を円を描くように触れる手の甲を覆った金色の体毛の輝き、枕元の蝋燭を吹き消すときに捻れた背中の筋肉の気配もすべて。

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そして生まれて初めてー
すばらしい感動を覚えた
地球の一部になってー
大地に触れた時ー
彼も愛してくれた

高校はどこ
あなたのママは どんな人?
ママの名前は?
何て書いた?
卒業アルバムの写真の下に
初恋の人は誰?
初めての
失恋はいつ?
どこで生まれたの?

アイオワだ

 この一言が愛の結晶のように輝く。たった一言答えた、生まれた土地の名前が。

 エキセントリックなSM行為の果てにある、高校生が初めて体験する性行為の真似事のあとの会話のような。こんなものに、深い深い愛と敬意を感じた。この映画はスペイダーのE.エドワード・グレイという役柄に対する明確な解釈を軸に撮影が進められたという。監督はスティーブン・シャインバーグ。

 私は同じくスペイダーが主演した96年の『クラッシュ』で感じた深い愛を思い出していた。性的倒錯がもたらす純度の高い愛の結晶。監督はデイヴィッド・クローネンバーグ。

 そしてこれらの作品でみせているスペイダーの、戸惑いや喜びなど相反するものを滲ませた乾いた眼差しを初めて見たのは89年の『セックスと嘘とビデオテープ』だったことを思い出した。監督はスティーヴン・ソダーバーグ。



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グレアムの、数秒間のうちに感情が入れ替わるこの有名なシーンのこの眼差し。ここが全ての始まりだったのかもしれない。