去年の年末


IMG_0997  2013年の年末のある夜のことをよく覚えています。私たちは少し疲れていました。夫の母のプリウスに乗り込み、ドアを閉めてひと息つきました。夫はお酒を飲んだので私が運転席についています。横浜にある夫の実家から目黒の自宅まで、車を借りて帰るところでした。車内は寒く、私たちはコートを着たままでした。私は2秒ほど空(くう)を見ていましたが、視線を落としてイグニッションのボタンを押してエンジンをかけました。

 エンジンがかかってオーディオが起動した瞬間が、ちょうど午後7時の時報でした。すぐにTBSラジオのアナウンスが入り、菊地成孔さんの番組が始まったことがわかりました。「ベッドに寝たまま、手を伸ばして横のステレオをつけてみる」。一瞬で空調の効いたホテルの部屋に入った時の肌の感覚がありました。菊地さんが『なんとなくクリスタル』を朗読しはじめたのです。一行目ですぐにわかりました。田中康夫さんの小説は、チェックインしたてのキリリとしたホテルの部屋を連想させます。夕方前の曇り空の都心がピクチャーウィンドウに嵌まっている、そんな涼しい文章です。

 はじめて親元から離れて過ごす年末でした。池尻ランプを降りて、山手通りの信号待ちしていると、様々な感情が、ついそこの柵のところまで押し寄せてきています。私はあくまでも、押し寄せる感情を上から見ていました。夫も空っぽの眼で前を見つめています。頬が橙や緑の街灯に照らされていました。