*love*


成田空港から乗り込んだNEXの車内で、彼は私に聞いた。紺色のスーツにヘリンボーン織りのブルーのシャツを着ていた。タイは無かった。スーツケースはデッキにある。固定するロープに鍵がかかる仕組みになっている。私はきらきらした気持ちを押し込めながら窓の外を見つめて考えるふりをしていた。景色は千葉の見知らぬ街を走っているようだった。それも10秒も持たず彼に向き直って「愛は花火、愛は爆発」とまさに花火のような笑顔で彼を見た。「それではだめだ」と彼はすぐに言った。彼の考えは完璧で縫い目が見えなかった。「愛ってなんだと思う」という自分の問に対して。

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夫の仕事の都合で関西に越して1年が経った。夫は更にその半年ほど前から関西に単身赴任状態になっており、私は横浜の自宅に残り、週末夫が帰ってくるという生活が続いていた。私はといえば、寂しさはあったが、近所に仲の良い友人もいるからしょっちゅう会っていたし、夫の家族もほど近くに住んでいるので、食事やお風呂までもを夫の実家で済ませて姉の観るテレビドラマに文句を言って帰るというような楽な生活をしていた。深夜車を走らせて代官山の蔦屋で大量のCDを視聴して借りてきて朝までかけてインポートしても誰も困らない。金曜日の夜には夫が帰ってくるのが楽しみで、ちょっとした遠距離恋愛をしていた。けれど日曜日の夜には必ず私は機嫌を損ねた。夫はホテル生活で私というお喋りな邪魔者が居ないので好きなだけ働きまくり、食事も適当に済ませていたらしく、3月の誕生月に受けた健康診断の結果は散々なものだった。その結果を見て、私もとうとう覚悟を決め猫たちも連れて関西へ来たのだ。それが2017年の5月の末の頃だった。
最初は新鮮だった。新しい住まいを形にしないといけないし、ここでは何を食べてもうまいし、毎日何かしらの刺激が私の好奇心を満たした。移住して4ヶ月が経った頃、また夫の仕事に変化が出始めた。しょっちゅう東北地方へ出張するのだ。嫌な予感がしていたが10月ごろに「来年の9月までしばらくむこうに通うことになる」と言い出し、またも単身赴任状態になった。今回は最初からきつかった。好奇心を満たしていた見知らぬ街は、本当の見知らぬ街になり、私は孤独になった。孤独なりになんとか持ち前の明るさでもって暮らしていたが、今年の5月の連休で大きな打撃を受けた。夫は仕事の都合で連休中10日ほど帰ってこれなかった。布団の中で丸まってただただ時間がすぎるのを待っていた。寝ていれば何も考えなくても時間が過ぎてくれる。本当に辛かった。夫の姉が数日来てくれてやっと気が紛れたが、あれが無かったらと考えると今でもぞっとする。手元に睡眠薬がなくてよかったと思う。あったら絶対に飲んでいたと思う。この連休がダメージになったらしく、以後週中ひとりで過ごす時間の落ち込み方が自分でも手を付けられないほど進行した。一日中布団のなかで本を読む。けれど本当は本なんて読みたくない。けれど立ち上がることができない。ある日そんな自分が心底嫌になって、何も用はないけれど、梅田へ出てみた。丸善のビルに車を入れて、茶屋町をふらふら歩いていたが、何も目に入らない。私は自分自身のことしか見ていなかった。地面からも1センチほど浮いているらしく、歩いている実感がない。次第に泣けてきた。この鬱は週末夫の顔を見た瞬間に消える。木曜日の夜中に帰ってきて、金曜日は関西で出勤するが、夫が出勤した後も、朝から晩まで異常なまでの行動量になってあっちにいってこっちにいって食事の準備が間に合わないほどになる。数週間前にこの状況に気づいて自分自身が怖くなった。1週間の中に躁と鬱が見事なまでに出現する。はじめに「私は孤独になった」と書いたが、躁と鬱に気づいてはじめて、鬱の原因は孤独だったことに気づいた。
そんな中、先週末は夫を連れて新潟の実家に帰ってきた。この時期の越後平野は素晴らしい。日本海へ沈む夕日が水田に反射して暗くなりかけた地平線がほの明るい。水田には根を張りだした青い苗が整列している。未来への希望に満ちている。私と夫は早めにお風呂を済ませて、髪も乾かさず、まだ身体がぽっぽしているうちに近くの土手に夕日を見にいった。橋の真ん中で、ふたりのことを話した。川の真上に弥彦山がある。背後に輝く夕日はわたしたちの背中を照らしていた。私たちはお互いが依存しあっていることを認めた。愛と依存は表裏一体。ごちゃごちゃに混ざり合って渾然一体となっている。それをひとつひとつ選り分ける作業をしてゆこうと、夫が言った。私は大きな米びつに玄米と白米が混ざっているのを抱えて、紙の上に一握りづつ出してひとつひとつピンセットで選り分けている夫の姿を想像して吹き出した。「じゃあどっちが玄米でどっちが白米なのさ」と聞くと、「やはり依存という観点からいうと、精製された白米が依存だろうね。精製されすぎた糖は依存度が高いと言うし」「じゃあ玄米が愛なわけだ」「けど選り分けている作業の中では “あ、これは玄米でも白米でもなくてもち麦だ”というようなこともあるだろうね。(これは私が今もち麦ダイエットをしていることが何となく夫の頭にあったのだろう)」「そりゃそんなことにもなるだろうね」「あとは同じ白米でも、コシヒカリだったりササニシキだったりもするだろう。それも厳密に選り分けてゆくよ」「その、コシヒカリだかササニシキがある程度溜まったらどうするのさ」「そりゃよく洗って炊飯器で炊いてオニギリにして食べるよ」「あ、食べちゃうんだ。依存の塊を」そんなバカみたいな話をしていたら湯冷めして肌寒くなってきた。母と妹がすき焼きの準備をしてくれている。すき焼きにはやっぱり白米だよな、などと考えながら暗くなってきた土手を後にした。

「愛とは愛し続けるための努力をする行為」数年前の成田エクスプレスの中で、「愛は花火、愛は爆発」という私に彼はこう言った。「見つめ合っていてはだめだ。同じ方向を向かないといけない」挙げ句の、米の選り分け作業だ。納得もするけれど、今でも私は、冬でも花火をあげて、でたらめなまでに脳天気でいたいという思いがある。悪魔が天使との同居にもどかしさを感じているような時がある。それに、愛と依存はごちゃまぜになった玄米と白米じゃなくて、バニラとチョコのミックスのソフトクリームのようなものじゃないか。口の中で甘いのと苦いのが混ざるから美味しくて、選り分けることは不可能で、やってみたとしても、もう食い物にはならない。