白について


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1. archaic smile of kore / 
アルカイック・スマイルの超越的なかげり

 インターナショナル・クライン・ブルーに電気的なショックを受けて突き進んだこの調査だが、青にインパクトがあればあるほど、白の世界はいつも静かで涼しく私を包んだ。白はベイシックであり、クラシックであり、抑制されていながら温かみがある。このイメージをもって想像を膨らませたらまず出てきたのが、大理石の彫刻だった。古代ギリシア美術の書物を繰ってゆくと、柔らかい白さがたっぷりと、鮮烈な青たちにやられた目を満たし、休ませてくれた。その中で一等惹かれたのが、このアルカイック・スマイルのコレー(少女)だった。アルカイック美術は古代ギリシア美術クラシック期の前身となる様式である。「古拙な・稚拙な」とか訳されて、完成品としてのクラシックに対して未完成な前段階にあることを意味する言葉として使われる。古代ギリシア美術は非常に完成度が高く、その後現在にまで続く美術史の原点と言われている。このアルカイック・スマイルはさらにその原点と言えよう。アルカイック美術の作品の主体はクロース(少年)とコレー(少女)だ。軽い笑みを浮かべ、骨盤を固定した状態で直立するか、かるく左足を前に出している。この静止、直立不動は技術の不足からくるものではない。それは「意識的な精神の所作」である。ギリシア人は万物には秩序がなければならず、秩序があることは善にして美であると、本来的に考えていた。ここに静かに流れるものは「制約」である。アルカイック・スマイルは「保たれた秩序、調和、善そして美」に浸っているような快潤な笑みだ。しかし、この「笑み」をじっと見ていると、何か儚い思いに駆られる。消えることが予めわかっているかのような。いや、事実アルカイック期を経て、クラシック期に入ると、その笑みは消えるのだ。アルカイック美術では人間を、精神と肉体が分離されないひとつの生命体として捉えられていた。この後、クラシック期に入ってゆくと、この笑みは消え、深い重々しい真面目さがこれに代わる。精神と肉体は別れて、精神的な面が人間の主体を占め、内省的とか精神的などが課題となってくる。公の場で生活感情を出すことは教養のあることではないとされた。筋骨隆々な肉体は強い精神性を増強するように追随しているように感じられる。動きも出てきて自然だが、何かどこかが不自然だ。アルカイック・スマイルに関しては、様々な考え方がある。この独特の笑みは一種の「超越的なかげり」を持っているという学者がいた。私にはその言葉がしっくりきた。そのかげりはまるで「”人間がひとつの容れ物に肉体と精神を容れて満たされる” という最低限の慎ましやかな秩序」の崩壊の兆しのようだと、私は思った。その予見が抑制された笑みや体勢から醸し出ているかのように思ったのだ。
/ペプロスのコレー 前530年頃 および スフィンクス 前500-530年頃 アテネ アクロポリス博物館『新潮古代美術館4 永遠のギリシア』(新潮社) 澤柳大五郎氏、村田数之亮氏の項を参照





2. 玉器/玉の持つ5つの徳

 中国において古代から近代まで一貫して、支配階級が求めてやまなかったものが、玉器である。玉に関する明確な規定・解釈はすでに後漢の時代から始まっている。この定義に、私は激しく胸を打たれた。後漢の許慎は『説文解字』の中で、玉とは「石の美なるもの」であり「それ自体に”五徳”がある」と玉を初めて定義している。この許慎がいう五徳とは次の通りである。「光沢に潤いと温かみがあるものが、仁。外から見て中の色が分かるほどに透明度が高いものが、義。叩くと澄んだ美しい音色を発し、その音が遠くまで届くものが、智。折れるまで曲げることができないものが、勇。鋭利だが人を傷つけることがないものが、潔。」これは、玉材の属性から派生した観念である。この「仁・義・智・勇・潔」の調和の取れた徳のかたち、それこそが物体としての玉であると言うのだ。最後の「潔」は「潔白」という言葉から白さを連想する。イブ・クラインが物体としての「青」に精神性を求めたように、中国では山から玉を削りだし、細部に渡るまできめ細かく彫りこみ、玉の持つ内なる精神性を形にした。玉器は「形と精神を兼ね揃えている」といえる。ギリシア美術では、彫刻家が捉えた「人間や神に宿る肉体や精神」を大理石に移し入れた。だが中国では素材そのものが「徳」をもつとされ、その「徳」をいかに表出させるか、という方向になる。古代中国の玉器は様々な素材があるが、中には大理石(炭酸カルシウム)も含まれる。同じ素材に対して、捉え方が全く違うのだ。
/玉熊虎相門文板飾 漢 天津市芸術博物館蔵 および 玉狗 清乾隆 故宮博物院蔵『中国美術全集9工芸編 玉器』(京都書院) 楊伯達氏の項を参照







3. 風化した牡蠣 /白出所の貝

「青出処の石(あおいづるところのいし)」をラピスラズリとしたのだったら、「白出処の…」は石ではなく貝だ。厳密に言えば、風化した牡蠣で、さらに厳密に言えば、そこから採れる「炭酸カルシウム」だ。これこそが、様々なものの白さの根源。ギリシア美術の大理石の白さも炭酸カルシウムによるもの。そもそも「大理石」という名前は中国から来ている。1000年頃に中国で興った「大理国」というところでさかんに産出されたことが名前の由来。これは日本語の由来なのであり、大理石、いわゆるマーブル石はギリシア・イタリアでもよく取れたというので、それよりももっと古い時代のアルカイック・スマイルのコレーは大理国の石で彫られたものではない。ラピスラズリ同様、炭酸カルシウムも酸に弱く、酸と反応してしまうと光沢を失ったり痩せたりしてしまう。(大理石がキッチン天板に向かないのはこれが理由だ。)風化した牡蠣から採れる顔料が「胡粉」であり日本画に使われる。天然の白色顔料だ。「胡粉」の「胡」はシルクロードの先のペルシアから伝わったことを表す。一方で古代ギリシア美術では「鉛白(シルバーホワイト)」という白色顔料が使われていた。鉛を酸化させると出てくる成分であり、非常に被膜力があるので、強いコントラストが出せる。肌を白くすることに執着した女性たちは、古くからこれをおしろいに使ってきた。鉛による毒性が強いため、女性たちは中毒になりながらも美を保った。近代ではおしろいには「亜鉛華(ジンクホワイト)」が使われている。亜鉛華は毒性がないためベビーパウダーの原料にもなっている。またほどよい被膜力から、絵の具の原料にも使われている。女性の肌の白さを表現するために、ベビーパウダーを使用した画家もいた。(4.へ続く)
/https://www.advancedaquarist.com/2011/10/chemistry







4. フジタホワイト/シッカロールの肌


インターナショナル・クライン・ブルーに比肩するところには「フジタホワイト」を配置してみた。藤田嗣治ことレオナール・フジタといえば、「乳白色」の女性の肌を描いたことで有名。柔らかく、押せばへこむような皮膚。とことん彩度を落として、暗闇から浮き出るような、体の中に光源を隠し持っているような艶。この「乳白色」こそが「フジタホワイト」であり、長らくその技法は謎に包まれていた。それもそのはず、フジタ自身が独自の「乳白色の下地」の制作手法を画家仲間に知られないように用心していたからで、まことしやかに様々な説が囁かれ「秘法」と言われていた。しかし意外なところから、その秘密の「缶」が明らかになったのだった。それは土門拳が撮影した「アトリエのフジタ」からわかったのだ。フジタの技法を研究していた内呂博之氏は悩んでいた。それまでの科学的な調査により、絵の下地にいくつかの成分が使われているのがわかっていた。その中には「滑石粉(タルク)」や「亜鉛華(ジンクホワイト)」などがあった。下地の成分を構成するパーツは揃っているのだが、何か必然性に欠ける…そこに現れたのが、土門拳が撮影した「アトリエのフジタ」の、机の上に写り込んでいた「チェック模様の丸い缶」だった。側面には「Siccarol/シッカロール」としっかり表記されている。作画中の手元にわざわざ汗を止めるためにシッカロールを置くだろうか?とピンときた内呂氏が和光堂株式会社(シッカロールは同社の登録商標)に問い合わせたところ、調査で発見された成分と当時のシッカロールの成分が一致した。ここから内呂氏はフジタの乳白色の下地には、和光堂株式会社のシッカロールが使われていたという確固たる仮説を立てたのだった。画家仲間には手の内をひた隠しにしていたフジタだったが、熱意ある若き写真家に心を許し、アトリエへの入室を許可してしまったのだろうと内呂氏は推測する。「君には手法を盗まれる心配がないからな」などと言っていたらしい。もちろん、仮説は仮説であり、フジタは滴る汗を止めるために首元にたっぷりとシッカロールを擦り込んでいただけかもしれず、その際にパタパタとたまたま、シッカロールが絵に落ちただけだったのかもしれないのだけれど。
/裸婦 日本近代絵画全集 7 藤田嗣治(講談社)/『レオナール・フジタ』(東京美術)内呂博之氏の項を参照





5. アイリッシュクロッシェレース / 私は奴隷


数多い趣味の中でも、断続的に私を支配しているのが手芸だ。小学校3年生で編み物を初めて以来、中学では当時流行していた雑誌『CUTiE』のおしゃれキッズに習い、スカートやバッグなど簡単なものを作り始め、大学生の頃はファッションショーを開催するサークルに入り文化服装学院のテキストまで買い込んでデザイナー気取りだった。社会人になったらDMC刺繍糸を大人買い、着なくなったマルジェラのセーター切り刻んでアメリカンフックドラグ、そして図書館で偶然見つけた『初めてのアイリッシュ・クロッシェレース』という可愛らしい女の子が表紙の本で、その繊細で真っ白な世界に恋をした。その脚で新宿オカダヤへ直行、一式を買い込んだ。クロッシェレースとはかぎ針を使ってひと目ずつ編んでゆくレース。その中でもアイルランドでつくられていたクロッシェレースには特徴があり、薔薇などの花や葉っぱの立体的で小さなモチーフをぎっしり並べて、波編みで繋ぎ合わせてゆくため、表面に凹凸が生まれ非常に立体的に仕上がる。程よく高い難易度に寝食わすれ編み続けた。むら気の浅ましさで、難易度の高いところを済ませてあとは単純作業となったところで、もっと難しそうなものを作りたくなる。そんなこんなで製作途中のものが何個もあるのに、またオカダヤへ行くことになる。ある時、そんな自分の行く末を呪い、オカダヤの手芸売り場のおばちゃんに「わたしは作りかけの作品がたくさんあるのに、また新しいものに手を出してしまうんです、病気でしょうか」と話したことがある。するとおばちゃんはあっけらかんと言うのだ。「私もそうよ。ひとつも完成させなくても良いの。一生続きを作り続けてゆくのよ。」私はスンナリ得心し、おばちゃんをお釈迦様のように拝し、景気よく追加の道具を買い込んだのだった。このように手芸は間違いなく私を「支配」しており、私は一生その「奴隷」だ。

/蝶のモチーフ 自作





6. Macintosh /マッキントッシュのパーソナルコンピューターの黄ばみやすい白さ


白いものを探しはじめて、かなり初期に思いついたのが、この初期マッキントッシュの白だった。現在ではマッキントッシュはアルミボディに包まれているが、90年台中盤に初代iMacが出るまでは、このボディはこのザラザラとして黄ばみやすいポリカーボネイトだった。調べてみると、やはりこの黄ばみやすいポリカーボネイトには愛好者がいるらしく、たいそう黄ばんでしょうもなくなってしまったマシンを丁寧に分解し、パーツごとに過酸化水素水をハケで几帳面に塗った後、太陽の紫外線に当てて漂白成分を反応させ、キーボードのキーも全て外してジップロックで浅漬けみたいに漂白剤に漬け込んで、新品同様に復元している動画を上げているような好事家もいる。レトロと言ってしまえばそれまでだが、この白ともベージュともグレーとも言い難いプラスチックの塊は、風情がある。優雅に古味を帯びているわけではないが、病院などで見る古ぼけた嫌なベージュという風でもない。やはり、あのザラつきのあるくすんだ白いMacで、チロルチョコレートみたいなキーボードをパンチしたい気持ちに駆られる人間は少なくないのだ。
WHITE版<完>
/初代Macintosh https://gigazine.net/




これは2018年8月阪急うめだ本店スーク暮しのアトリエでの展示のために書き下ろしたものです。
歴史や芸術の解釈には諸説がございます。あくまでも私説とお考えください。またこれらの調査は夏の自由研究であり営利目的ではございません。