芸術と感情の記録」カテゴリーアーカイブ

落合陽一の個展

August 3rd, 2020

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*この記事はとても長いので、芸術の話や面倒な思想の話が嫌いな人は、最初の3つのパラブラフとページ下の「おたのしみ脚注」からチェリーピックして読むことを許可する。私からの最大限の譲歩と好意をお受取りください。また、このパン職人たちの画は落合陽一氏の作品ではありません。

 

 

先日、夫の姉Aさんから「午後暇ならお茶でもしよ〜」とラインが来て、昼ごろAさんがウチにやってきた。キムチチヂミ1を焼いて食べてから、どこいく〜とかいいながら猫と遊んでダラダラしていたらもう15時だ。ココ最近はこんな時代なので地元の駅のショッピングモールや百貨店2を冷やかして過ごしていた。けど「化粧品がみたいような気がするような」というAさんの意見3で「フタコ4でもいくか〜大っきらいだけど」ということになりクルマを246へ走らせた。多摩川の手前の側道に入る分岐路のところで、なぜか「渋谷にも行けるけど」と私はひとり呟き、Aさんの意見5を聞きもせず、左に出したウインカーを止めて246を直進した。ドライブしたい気持ちがあった。

 

車中で会社での出来事などをぺちゃくちゃ喋っていたAさんの「化粧品がみたいような気がするような」気持ちは渋谷に着く頃にはすっかり無くなっており、それに代わり「クレープが食べたいような気がする、いや絶対食べる」という舌になっていた。クレープよりホルモンが好きなAさんにしては珍しい。クルマを西武のP6にぶち込み、センター街でクレープを食べ7、ぶらぶらしていると、公園通りの付け根の元マルイ(現MODI)で落合陽一の個展をやってることを思い出し、行くことした。Aさんは「大人かわいい女子」なので落合陽一とかに疎い人だが、かのじょが良く食事をするエグゼクティブのおじさまが落合陽一の開成の先輩で、最近その方の話の中に落合陽一が出てきたとかで、彼女にとっても落合陽一はタイムリーだったのだ。

 

落合陽一の個展は、いろんなごたごた抜きに、本当に素晴らしいものだった。皆さん知っての通り、答えのないような漠然とした現象(エクスタシイ問題8)に、問いや感情をぶつけ続けている私で、世の中のほとんどのことに首をかしげたり憤ったりしている私だが、色々なところで見聞きする落合さんの言葉は、いつなんどきでもやさしく私の腑に落ちてきた。

 

 

* * *

 

 

(ごたごた始まります)

*途中で嫌になった人は、私からの最大限の譲歩と好意に基づき、次のアスタリスクまで飛ぶことを許可する。

 

 

かれは時代きってのサイエンティストだと思うけど、そしてアーティストだけど、何よりも詩人だと思う。詩は、芸術のはじまりとなった場所9だから落合さんが詩人であっても不思議はないんだ。かれの切り取る言葉とシーンは見事に調和し、私の思考をアートさせる。いや、調和ではないな、言葉による補足が作品に形を与えているように、最初私はそんなふうに作品を鑑賞していた。落合さんは、恐らくはそうなることを避けるため、あえてキャプションを「とってもとっても読みづらく」配置している。

 

しかし残念ながら?この人は言葉による表現が大層巧い。語る内容の抽象度が高ければ高いほど、文章の巧さは引き立つ。詩人に近づく。
落合さんにとって写真を撮ることは、このような行為だ。
以下は展覧会で掲示されていた文章の中の一部の抜粋です。読むと深く理解できます。難しい話ではないです。

 

 

”スナップショットが好きだ.今この瞬間を捉えてそれを過去にしてゆく作業の中で,切り取った一瞬をコンテクスト10で結んでいく.時間と空間で結実したひとつなぎの現実をキャンバスにして,その瞬間と瞬間の光のよせ集めで何かを描き出そうとする作業は,手触りのある現実と思考を行き来しながらも現実という共有物を使いながらコンテクストを紡ぐ作業だ.なぜ今この写真がこの場所で選ばれているんだろう.これは誰の手なんだろう.何につかう装置なんだろう.これは何をしているんだろう.この形や光が意図するものは何なんだろう.絡みついた問いかけを繰り返して,情念と現実が反芻して練り上げられたコンテクストを,あえてイメージのみを現前させながら描き出してゆく.批評性や社会性のあるものだけを芸術と呼ぶ安寧な領域のことを忘れ,絵を書くようでいて物語を紡ぎ,物語を紡ぐようでいて,あくまで現実の世界や社会の中から見つけてきたものだけを現前させる.あるがままの現実を具材に,言外のコンテクストを追いかけるスナップ写真の形を愛している.”


 

 

そのようにして切り取られた、鯨の歯(”現前の具材”)の写真にはこのようなキャプション(”物語”/”言外のコンテクスト”への道標)がある。

 

”歯鯨の環世界を覗いてみたい.音と光の波の合間に生きる日々の中で,鯨の身体性に思いを馳せる.”11


 

 

瞬間、私は以前どこかで書いた、ダイアン・キートンが語ったアル・パチーノのプレーンさ12について思い出していた。そこで私は「時の中に光が溶け込み、柔らかく曲がり、更には可逆となり、何もかもを可能にしている時代で、不可能でありたい、と出し抜けに思った。」と書いた。歯鯨はアル・パチーノに他ならなかった。

 

 

* * *

 

 

ここまで、かれの紡ぐ物語(言葉)の方に奪われて、物語を鍵にして作品に入っていた私の時間が、一瞬張り付いた瞬間があった。蝶を写した一枚のプラティナプリントの、4メートルほど手前の地点だった。

 

俄に皮膚が泡立ち、その後2秒くらいで急に視野が狭まり、同時に聴覚がシャットアウトする。その間は呼吸もしていないらしく、気づくと苦しさを伴っている。

 

MODIは元マルイだった館で、この展覧会は、その2階をぶち抜きにしていた。
躯体が露出し、建物の裏側から、どこにも繋がっていないコードの先端が枯れた植物のように生えている。建設同時の手書きの指示のバランス、色ともに、この壁面はこのぶち抜きの廃墟の中でも、一等美しく廃れ、「もっとも価値のある面」と判断されたに違いない、と直感したら、次の瞬間そこに一羽の蝶が浮かんでいるのがみえた。

 

感情が身体を制し、もう泣きそうだった。
廃れた場所に蝶が飛んでいるのってなんて美しいんだろう13

 

この廃墟は、また近いうちに新しい廃墟になって
この建物が立っている土地自体なくなるかもしれない
けど、この写真は500年後もそのままの姿でいるだろう14
2520年の世界では、この蝶はもっと美しいんだろう
ああ、ああ。15

 

しかも不思議だったのは、近寄ってから読んだキャプションだった。
タイトル/ 青
キャプション/ “青を感じるための物質的な追憶”

 

その瞬間、「この蝶は青だと思っていた」という自分の感覚が思い出された。
それは作品を見ているときから思っていたこととは違う、瞬発的な思い出し方があった。
さらに不思議なことにAさんも同じことを後から私に言った。
落合さんは、どんな手品を使ったんだろう。

 

さらにさらに、不思議なことに、この文章の校正のために夫にこの話をしていたら、「デジャヴってこと?」と聞く。「そうそう、そんな感じ」とか言ってたら「この展覧会自体がデジャヴをテーマにしてるんだよね?」と摩訶不思議なことを言ってくる。
言葉を失っていたら、受付でもらった紙に「未知は追憶できないが、思い出せないデジャヴュ=既視感を探すと、未知への追憶になるのではないかと個人的には思っている」と書いてある…。

 

そんなの知らなかったよ(読んでないだけ)。
真面目にどんな手品つかったの。

 

 

* * *

 

 

作品の横にキャプションとして”言外のコンテクスト”への道標が示すことは、その作品に入ってゆく鍵を渡すことだ。
作品を見た人は鍵を受け取り、丁寧に鍵を鍵穴に入れ込み、回して、扉が開き、その作品の中へ入ってゆく。恐る恐る。そして作品の中になんとか自分でパス16を作り、出てくる、といった感じ。この感じは、皆さんおなじみではないだろうか?

 

けれど、私の体験の中で、道標がない場合の方がキョーレツな体験になりやすい。
俄に皮膚が泡立ち、その後2秒くらいで急に視野が狭まり、同時に聴覚がシャットアウトする。気づくと呼吸もしていないので気づくと苦しさを伴っている。しばらくすると、この感覚すべてが多幸感や充実感に変わり、そして悲しくなる。幸せな悲しみ。幸せで泣いているのか悲しくて泣いているのかわからなくなる。そして数時間後、なぜか元気になっている。

 

私はこの感じを以て、これをエクスタシイと呼んでいる。脱魂。
その時、その作品は本当の意味で自分の所有物になる。

 

けれども。
今ここ、コメダ珈琲店の2階の席に、パン職人たちの働く姿を描いたテラコッタの画がある。
不思議なことに、この数時間、この絵を私は100回以上見ている。
書きながら思考が絡まりつくと、この絵を見る、というルーティンが100回以上続いている。
その都度、このパン職人たちが、私をリセットしてくれる。
だから、皆さんにもこの絵を紹介したいと思った。

 

 

最後になるが、落合陽一の個展にはたくさんの花が届いていた。
その最左上位に、父親である落合信彦の花が配置されていた。

 

 


 


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スロギーのカタログ

July 31st, 2020

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スロギーのカタログに金原ひとみの短い小説があった。

初めて読んだ時から、かのじょの文章の構造とか嫌そうなところが好きだった。
同じ時に芥川賞を取った女の子の文章はよくわからなかったし、私の目に全然偶然飛び込んで来ない。

金原ひとみの文章は、予期せぬ時に私の隙間にプラティナ色の柔らかい蛇のようにするりと入って一瞬形に馴染んで、するりと出ていくような感じになる。

かつて、Hという男がいて金原ひとみと、もうひとりの芥川賞を取った女の子の間にいた。かれは2人の若い芥川賞作家と3人でミクシィのアカウントを共有して、入り乱れて文章を書いたりしてた。私の日記にもコメントをくれたけどそれが誰なのかは分からない。夜が明ける少し前の時空がねじれる瞬間に舌が火傷するほど熱いコーヒーを飲む、身体が火傷するほどあついバスに浸かる時間が好き、こういったのは一体、3人のうちのだれだったんだろう。

Hはやたら生命力が強いけど、片目を失明したし、今思うと、そのどれだけが本当のことだったんだろう。東京の街にあった看板の無い店で過ごした真っ白な冷たい十数時間、アヤとの話や、バレリーナの妹がスルメすら飲み込まない話や、高田馬場の山水ビリヤードの玉の色々。山水ビリヤードは一緒に撞いたから、あの色は本当か。

かれはもう、死んでいるかもしれないけど、たまにあの坊主頭を思い出す。Jに聞けば連絡先を知ってるかもしれないけど、私は多分聞かないと思う。人生にひとりかふたりくらい、ミッシングパースンがいるのも悪くないから。



(2019.4)


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北大路翼の俳句

June 2nd, 2020

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5年間のインスタ廃から抜けインスタ嫌いを自称してはや2年1
ブログ更新やイベントなどの告知に使うのでアカウントは消していないがアプリは消したのでロム専でもない。

 

インスタをやめると生活に品性が戻った。
しかし写真を撮り(デジタル一眼を使って撮影していたので撮影にもある程度の工数を割いていた)、文章を書く(短いものはその場で書いていたが、後半はしっかり考えて編集して書いていた)ことをしなくなったことで、次なる問題が出てきている。

 

独自ドメインのブログも持っている(ココ)。インスタと併用したいた時は棲み分けに悩んでいたが、今より更新回数は多かった。今はインスタをしていないので棲み分けに頭を悩ますことはないはずなのに更新をほとんどしていない。
このことは私を少しづつ悪くしていた。

 

高校の頃の倫理(哲学)の先生2に小論文の書き方を教わって以来「書くという事は、どんな状況があろうと自分にとって良いこと」という刷り込みがある私にとっては、逆の言い回しをすると「書かないこと、はどんな状況があろうと自分にとって悪いこと」となる。しかもその悪はウイルスのように私の細胞の中で活性化して繁殖しているようなのだ。

 

『アウトプット大全』3という柔らかめのハウツー本を読んだ。表紙からして相当柔らかいし、怪しいのでこの手の本は常に毛嫌いしている私だが、自分の中にいるウイルスが繁殖して蔓延しているのをどうにも御しきれず、薬代わりになるかもと購入して読んだのだ。内容は素晴らしいものだった。特筆するのは、SNSよりも独自ドメインのブログに書く方が良いという意見だった。これはインスタ嫌いには嬉しい意見。ソーシャルメディア(ここではFacebookと比較)を使うよりも5倍シェアされやすく、検索エンジンにも引っかかりやすく、自分で広告を貼れる、など技術的な面がその理由である。
しかし、アウトプット大全を読み終えてから1年が経っても私は書かなかった。

 

そんな私が再び書こうと思ったのは北大路翼の俳句を知ってからだ。

 

アウトロー俳句、なんて言われ、同じく稀代のアウトローでゴンゾーである石丸元章サン4と「屍派」を結成。歌舞伎町をぶらぶら歩きながら酒を飲みながら煙草をくわえながら小さな短冊に思いつくままに書く17文字の世界に頭の中が痺れた。シナプスがまるで謳うイルカみたいだ5、そしてニューロンの大発火6だ。

 

今、私は佐々木健一氏の『美学辞典』7を通読しながら基礎の知識を学んでいる8。哲学が生まれた古代ギリシア時代にはもう「美」についての議論がたくさんあり、その後「美」の概念は変遷し、特にロマン派の時代を経て今の「美」という概念が方向づけられた。といったような哲学の基礎のことを扱う。

 

そんな勉強の最中の「歌舞伎町60分100本勝負」9は衝撃だった。まさにこれぞ私の思う「美」であり「芸術」であり理想の形だった。むろん作品自体も、正面から直視できないほどの「真」だ。

 

 

* * *

 

 

「美」の定義のひとつに「端的な完全性」というものがある。そのものが何であるかを知らなくても、知識を度外視しても、それが立派だとか見事だとかということを「たちどころに」「直感的に」知覚するとき、私たちはそこに「美」を認める。

 

そのように知覚された「美」は「ことばにならない」ものだが、なぜ立派なのか、見事なのかを言葉によって捉えたくなるような欲望を引き起こす。作者の手から離れた作品には、見る者を動かす力が潜んでいる。優れた作品は自らをより良く、より長期に渡って評価されるように望むフシがあり、また自らを展開させようとする力をはらんでる。

 

私が2018年に大山崎のアサヒビール記念館で有本利夫の絵を観たときの強烈な体験10を構成する一部は、この作品がもつこの力によるものだったのだろうと省みる。私が感じた「喉まで出かかっている感じ」「あと少しで思い出せそうな気持ち悪さ」「言葉が出てこないのに胸がなにかの感覚に支配されている感じ」、それでいて明確な予感をもっている感じ。この全ては作品が持つこの力のせいだったんだろう11

 

優れた作品が例外なく持つこの「わたしのこと語りたくなってきたでしょう。なさいよ。」の挑発に乗ろうじゃないか。彼らは「語られることで磨かれる」ことを待ってる。磨いてやろうじゃないか。そしたらいつか、そこにボロボロになった布切れを片手に汗をかいて、瞠目結舌としたわたし自身が映し出される瞬間に立ち会えるだろう12。エクスタシイだ。

 


 


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エクスタシイについて

June 15th, 2019

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渋谷のかきもの
2019年6月10日(月)14:10-14:55放送
https://note.mu/shiburadi/n/na8d44b7fa1dd

 

最近私に会った人は、クドクドクドクド私の思想を聞かされて、最後に「人工甘味料三兄弟1はだめ!!」と言われる。「夫の都合」という呪縛から自分を開放し、この夏をもって大阪生活に終止符を打つことを決意してからというもの、そして宮台真司の法外の享楽という考えに出会ってからというもの、目に入るもの耳に入るもの全てが輝き、自分が自分に戻る、いや更に次の自分になっていくようなエナジーに満ちております。

 

そのへんの話をラジオで話しました。上記のURLのリンクから聴けますのでどうぞ。

 

しかし振り返るとたっと2年だった大阪生活は、私の人生に来るべくして来た機会だった。それまでいたクラウドからひとり知らない土地に引っ越ししたことは、激しい孤独を伴ったが、何よりも自分を取り戻す機会となった。

 

大阪の「鉄の民家」という私塾についてはインスタグラムに何度か書いているが、大阪へ転居する半年前に得た縁だった。そのまま導かれるように転居が決まった。鉄の民家の松元先生とは最初に電話でお話した時から、やたら話が合うなと思っていたが、その後のシンクロニシティは凄まじいものがあり、話し込むうちに、自分の頭が彼女の中に入っているのか、彼女の頭が私の中に入っているのか、わからなくなることもしばしばだった。この人と彼女の家族との出会いは大阪生活の最重要事項となった。いつも温かく家族ぐるみで私を支えてくれた。人生で何度もない不思議な出会いとなった。

 

仕事を一緒にしている夫の母との関係も、この2年間お互いに離れたことで大きく形を変え、新しい関係に突入しはじめた。大阪にくる直前は距離が近すぎた。それはお互い無我夢中でお互いを知ろうと努力する期間だった。けれどもこの2年の期間でそれぞれが自分の考えを持った上で、お互いの意見を尊重できる関係に変わった。私も、もう闇雲に夫の母に自分の考えや態度やを合わせることは無くなり、今では夫の母の前で嫁というTPOをわきまえることを辞めた。これが出来て心の底から母に感謝できるようになった。それよりもっと前から、この私と母の関係の周辺で、私を気遣ってくれた叔母たちや夫の父〈お父さんは写真家なので写真やカメラの話で最初から比較的話が合った)、そして夫の姉(美容おたくで有名な)には今から恩返しをしないといけない。

 

また、変化すること、順応すること、移動すること(なぜか知らんが移動しまくりの2年間だった)を強要された。だがなんとか耐えたら、それがへいちゃらになった。しかし今年に入ってから激化し、金銭的、物理的に破綻をきたし始めていたので、このタイミングでホッとしている面もある。

 

面といえば、大阪の最大の魅力はうどんだった。関西ではストレートの出汁のパックとソフト麺がスーパーや商店に売っている。関東の人は濃縮のそばツユが小さなパウチに入っているやつを想像したかもしれないが、それではなく、関西風のうどんのおツユが、本当にストレートで一杯分入っているので容量としては糸こんにゃくのパックくらいである。私は近所に阪急オアシスという阪急系列のスーパーがあったのでそこのプライベートブランドのツユと、石田製麺所というところのうどんとそばのソフト麺をストックしていた。どちらも冷凍が可能だ。シンプルにやるならこのツユに松山あげ(南関あげでもOK)、太く斜めに切った九条ねぎを入れて煮立てるだけ。ツユに軽く味がついているのでこれだけでいい。大阪に越して来て1ヶ月くらいのころだったが、腰を抜かすほど美味しかった。夫も腰を抜かした。今まで食べていたうどんってなんだったんだろう。なぜ家で、なぜこんなに簡単に美味しいものが食べられるんだろう、としばらく疑問で頭が働かなかった(箸は動いた)。むろん、ここに「やまつ辻田」の山椒をどっざりふりかける。また鶏肉があるときは、ツユに鶏肉と九条ねぎを入れ薄口醤油で軽く調味するだけで、関西風の鳥なんばになる。私はこれを経験して関東風の色の濃いなんばはサブに落ちた。なんばといったらこれ。(なんなら大阪のなんばでこの青ネギがたくさん取れたから、ネギの入ったツユをなんばといったと聞いたことがある〉ツユは透明で青いネギ、そばでもツユは透明が好ましい。むろんここに「やまつ辻田」の山椒をどっざりふりかける。エクスタシイだ。



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95年の映画『Before Sunrise』(94年の夏)

October 24th, 2018

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 泣きながら渋谷のTSUTAYAで『ビフォア・サンライズ』のDVDを買って、週末を一緒に過ごしてアメリカへ行ってしまった彼のマンションのポストに入れた。もう再び会うことは出来ないと思ったからだ。あの時渡ったスクランブル交差点の真上の空の色を今でもはっきり覚えている。『ビフォア・サンライズ』を送った私に彼は『エターナル・サンシャイン』を返した。その彼はやがて夫となり、私たちは子どもも出来ないまま倦怠状態に入り、仕事の都合で物理的にすれ違いが多く、ケンカをするにもFaceTime越しという状況になった。もちろんケンカをしているつもりなのは私だけ。結構可愛かった私も、早くも劣化しはじめ、3ミリのポリープだって出来て、自分だって嫌だけど、自分を綺麗だとは思わない。

 『ビフォア・サンライズ』は、列車で知り合ったふたりの夜明けまでの数時間、つまりジェシー(イーサン・ホーク)がウィーンからアメリカに経つまでの数時間を描いた映画だ。これには『ビフォア・サンセット』という続編があって、9年後にパリで再会し、ジェシーがパリからアメリカに経つまでの数十分が描かれていて、これは公開されてすぐ観た。

 実は、さらに『ビフォア・サンセット』にも『ビフォア・ミッドナイト』という続編があることを昨夜知った。更に9年が経ち、ふたりは双子の女の子を授かっていた。早速『ビフォア・ミッドナイト』を観たら、『ビフォア・サンライズ』が観たくなり、当然『ビフォア・サンセット』が観たくなり、さらにもう一度『ビフォア・ミッドナイト』が観たくなり、そんな夜を明かした。





* * *

まずは主にイーサン・ホークについて





 やはりジュリー・デルピーの力が大きい。
 ウディ・アレンのような一見知的だがその実かなりトンチンカンなダイアローグ。しかも早口。しかも政治的で悲観的。そしてトンチンカン。(わたしはこの手のものが全く嫌いじゃないわけで、この人の『パリ、恋人たちの2日間』もかなりキョーレツで、ビフォア・サンセットに一瞬出てくるジュリー・デルピーの実の両親がガッツリ出てきて変なことを言いまくるシーンなどかなり面白い。)

 イーサン・ホークは”カーペディエムのやつ”、つまり『いまを生きる』を観てからなんか他人と思えない感覚がある。『ビフォア・サンライズ』を初めて観た時は隣に座ってうっとりしてたけど、いまこの映画を見ると、ちょっと自分がこの男子の「母親的な」見方をしていると感じる。ちょっと弱い、印象があるからだろうね。『ブルーに生まれついて』も弱くてかなり良かった。菊地成孔が粋な夜電波で「ヤングアダルト世代の監督と、イーサン・ホークは正しく病んでおり、熱心にラッパの練習をし、真面目にチェット・ベイカーを演じてみせたが、チェット・ベイカーの持つ甘い毒のような悪魔性を全く表現できなかった。単6度キーの低いMy funny valentineの歌声からもそれはすっかりわかってしまう」と言っていたが、私はイーサン・ホークを何故か他人と思えない人なので、この映画もすごく好感を持って観た。でも言われて見れば、イーサン・ホークは全然悪魔的じゃない。むしろクリーンでいることしかできない弱さの印象を与える。そこに私の謎の母性がまた反応したわけだ。

(上記、菊地成孔の話を鵜呑みにして、更に勝手に自分でイーサン・ホークを予断して書いていたが、Ethan Hawkeをフリー検索していてこんな記事を見つけた。やはりだいたいそういう感じだった。『ブルーに生まれついて(原題:Born to Be Blue)』のプロモーションでのインタビュー。Drugs don’t unlock one’s creative potential, they just deal with anxiety, Ethan Hawke said while promoting his latest film, Born to Be Blue, at the Toronto International Film Festival. <中略>“I don’t believe that the drugs helped Chet Baker play,” said Hawke. “I believe that he believed it. There’s another path to get there. Dizzy Gillespie was a family man and had a huge career and played without any drugs.” もちろんそうかもしれないけどさ。それはちょっとプロモーションとしてクリーンすぎじゃないだろうか。ドラッグという観点でガレスピーを比較に出すなよと言いたい。音楽自体を比較してほしい。しかも民主党支持公表者。まあそれは自由なんだけれどもね。)

すぐヤフオクで『ブルーに生まれついて(原題:Born to Be Blue)』パンフを1200円で落札し、勢いよく読み出したが、村上春樹の序文は持っている本からの引用だったし、菊地さんの解説は事前にラジオで聴いちゃってるし、大谷能生の解説に1200円払ったような感じだった。あ、むろんイーサン・ホーク本人のインタビューも載っていたが、海外俳優のインタビューにありがちなとっちらかった感じだった。驚いたことに彼はジャズが結構好きなんだと。ま、それでも無性に『リアリティー・バイツ』が観たくなっちゃっているけどね。むろん『ガタカ』だって観るしね。(後記:観ました。ウィノナ・ライダーかわいすぎです。あとジュード・ロウはいつも本物です。)





* * *



続いて3本の映画について。
映画の説明はしていない。鑑賞した人向けの内容になっている。





Before Midnight





 素晴らしい夜に、と貰った赤ワインが目の前にある。

 遠回しに、未来のことを全て刈り込むような会話だ。本心じゃないとは言わないけれど、いずれ本心になるかもしれない可能性の種を、見つけ出してうまく転がして実が熟したところを右手でもぎ取って、握り潰して床に投げてみせるような。もうそこら中、赤や黄色の実が潰れて飛沫が飛び散っている。けど不思議と不快な香りを発していない。

 相手の心の真ん中をつくような、棘のある言葉だ。けれどポキっと折れるような棘じゃない。その棘は伸び縮みするというか、不思議な温度がある。

 何度も部屋を出て行けるのは、二度と戻れないと思っていないから。安心感を壊すことで生まれる、高まり。別れたいんじゃない。愛されたいんじゃない。愛している時間を延ばしたいだけだ。時間は伸び縮みしない。けれど不思議だ。私を取り巻く時間は、緩やかなゴムのように伸びたり急に縮んだりするのだ。

 セリーヌが今日の私は美しいか?と聞くとき、ジェシーは94年の夏、04年の夏のセリーヌを重ね合わせて昔よりずっと美しいと言う。セリーヌはなぜかそれでは満足できない。私と一緒だ。ジェシーはある意味で94年の夏の夜だけで完結している。男の人は、たった数時間の思い出のような一夜で一生女性を愛せるのか?

 『ビフォア・ミッドナイト』には帰りの便はない。その代りふたりは裸になって94年の夏にタイムスリップしようという話で映画が終わる。衣服は時空を超えられないのだ。

 男女関係は時間がたつにつれて重苦しくなってくる。頭で考えてもしょうがない。軽い気持ちでいれば、風が吹いてふいっと持ち上がった寝癖のような気持ちの先端から、簡単にあの日に帰ることができるのかもしれない。





Before Sunrise



 グリースヘアのイーサン・ホークは記憶よりずっと馬鹿っぽかった。
 立て続けに重なり合うダイアローグに耳を塞がれて、感覚が研ぎ澄まされる。
 唇の香り。革のジャケットの香り、向き合うたびに擦れ合う革の音。髪の毛の香り、しっとりした指ざわり。草の香り、ひんやする背中。何よりもそのときの快感。腰掛けた噴水の、手に残った石の硬さの跡。
 赤ワインの香り、渋く酸っぱい唾液の味。腕や背中に軽く触れる指先の丸い感触、頬に触れたときの掌の匂い。一人乗る列車、背中だけが感じる機械的な振動、触れた窓ガラスの冷たさ。




Before Sunset



『ビフォア・サンライズ』は約束通り朝別れ、ジェシーが空港へ向かいお互い別れるシーンで終わっている。対し『ビフォア・サンセット』はこういう会話でぷっつり切れる。

「ベイビー 飛行機に乗り遅れるわよ」
「分かってる (I know.)」

なんて完璧な映画のエンディング。
踊るセリーヌが暗転してゆくリズムの中に、代わってゆっくりとニーナ・シモンの声がフェイドインしてくる間が完璧。縦長のフォントの間も完璧。

…といってもそう思ったのは実は続編を観た後の昨夜のこと。最初観た時には、このエンディングには色々な解釈があるだろうと思っていた。大人だからお金もあるし、次の便で帰るかもしれない。といったことを。むしろパリに残る選択肢なんてあるだろうかと。(まさにキリンジの『愛のcoda』の世界的な。)そんなことを考えてニーナ・シモンのフェイドインを味わう余韻はなかった。

けど、色々な解釈なんていらなかった、望むようにすればよかっただけのこと。
その先がわかっているから、安心しきって、このエンドロールに浸ることができる。

三作をループのように鑑賞して、このループにエンドがあるならここがいいなと思った。

ああ、やっぱり私は駄目な女性の典型なのかもしれない。けれど、いい女って一体なんだろう。





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