芸術と感情の記録」カテゴリーアーカイブ

外環開通のラジオCM

June 7th, 2018

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 新宿方面の夕焼けをホテルの部屋からみている。
 家から持ってきたラガヴーリンをソーダで割って飲んでいる。駅の紀伊国屋で買った、パクチー味のおかきが美味しい。空調が効いた部屋、嵌め殺しの窓、今日もビルに夕陽落ちる。
大阪でも毎日、東京放送(TBSラジオ)を聴いている。ある日、外環道の新開通を知らせるラジオCMが流れ始めた。はじめて聴いた時、手が止まり息が止まり視界が狭くなっていくのを感じた。外環に新たな区間が開通する、ただそれだけのことを若い男の子と女の子の俳優が言うだけ、ただそれだけのことなのに。
 親がよく車で松任谷由実を聴いていた。当時の若者にとってユーミンの音楽は、都会的であることの試験紙のようなものだったという話も、よく聞いていた。私の父親はどうもその試験に合格したつもりでいたクチのようだが。子どもの頃からあまりにも身体に染み付いていたこのメロディは、もはや私にとって特別でも何でも無かったはずなのに、なぜこうも胸を締め付けるんだろう。変わってゆく東京という街を思わせる、特別な旋律と、歌の中で語られる、ひとりの男の子のイメージも。


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アイロンをかける時間

May 10th, 2018

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 溜め込んだアイロンがけをするために必要なものは、ジンと何度も何度も観た映画。オーシャンズシリーズにしてみる。何度も観てるからシーンとかストーリーも頭に入ってて画面を見ずとも鑑賞できる。スティーヴン・ソダーバーグってなんでセックスと嘘とビデオテープからデヴューしてこんな軟派な映画を撮ったんだろう。とか考えながら、ふとジェームス・スペイダーの金色の胸毛のこととか、そういうことをぼんやり考えられる余裕もあるし。ブラッド・ピットとジョージ・クルーニーの組合せは最高。ふたりの壮大な身内ネタを見せられているような若干の感触はありつつも。ベン・アフレックの弟のスペイン語もいい感じだし。そもそも先日姉が遊びに来てる時、コトの流れで藤井フミヤの動画を観ながらお酒を飲んでいたら、姉が観てる傍からどんどんフミヤにハマってゆき、私はどんどんアンディ・ガルシアにしか見えなくなってきた。その時から、近々アンディ・ガルシアの出演作が観たいと頭の片隅が思っていたのだった。アンタッチャブルかゴッドファーザーⅢかなーと考えてたけど、オーシャンズは手っ取り早くていいや。ジンはアイラ島のボタニストってやつ。日曜日の夜、ジンが切れた。近所の酒屋へ走った。味見でボタニストの小さいボトルと、保険でタンカレーを買った。ソーダで割ろうと思ってタンブラーに注いだのに、ソーダが切れていた。


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白紙の未来

May 8th, 2018

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 書斎で夫が働き散らかした書類をシュレッダーにかけるのは私の仕事だ。コンフィデンシャルな資料はちゃんとシュレッダーにかけるが、手書きのメモのようなものはそのまま屑入れにいれてしまう。一枚ずつチェックしながら破棄する手が一瞬止まった。「何を書きたかったの?」と首を傾げて嘲笑したけれど、詰め込んだ頭から流れ出したラフな斜線を見つめていたら、額にピリっと冷たいものを感じた。To-Beはこれでいい。


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春の蛇

April 14th, 2018

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 春です。
 私が錆色の蛇のようにとぐろを巻きながら人をつかまえてはくだを巻いていた季節を過ぎたら空と海には桜が舞っていた。Kindleに齧りついて夢枕獏の空海や梁石日や開高健のアパッチ族を読み耽っていた。私の目は怪しく光り、頁を繰るときだけ人差し指を画面にかざして、決して何も肯定しようとはしなかった。木の芽どきにはその目は一層光り、鱗を逆立てて、それを擦り合わせ不気味な音を立てたかと思えば、尻尾をはげしく前後に動かして、ガラガラヘビのふりをした。小沢健二の新譜もいつからか聴かなくなっていた。木の芽はとっくに過ぎ、いくつかの花の季節も経た。蛇が結婚式で持ったマグノリアも終わって菫が咲いて、桜が散りはじめてやっと、この錆色の蛇はにょろにょろと、青いレンズのメガネをかけて視力矯正をして慎重に路地へ出てきたのだった。
 蛇には仕事があった。阪急うめだのイベントだ。冬眠中の蛇は尾っぽを器用に操りMacで展示物をデザインしたり、カッターで封を切ったり、伊万里の古い器を並べた。設営が済むと、トム・フォードのヌードディップで囲んだ目の周りは真っ青になっていたが、完全に冬眠が明けていた。蛇はザラザラと音を立ててバイヤーのねえさん方たちと阪急うめだから新梅田食堂街へ移動し、尾っぽでレンゲを握って新喜楽の鴨鍋の汁を啜った。また胴に下げたルイヴィトンの鞄から尾っぽの先でやまつ辻田の粉山椒をつまみ出し器用にその封を切って「追い山椒」をしたのだった。蛇はナビオの駐車場までザラザラと音を立てて移動し、900円の駐車料金を払った。身体を滑り込ませるように運転席について尾っぽを巻きつけるようにギアをドライブに入れ、ハンドルを握って御堂筋を北へ爆走しだした。信号待ちで尾っぽを器用に操りiPhoneで岡村靖幸のsuper girlに合わせた。カーステレオから水色の澄んだイントロがこぼれだした。蛇は歌った。
 春から夏にかけての蛇には注意だ。


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小沢健二の新譜

February 17th, 2018

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当時は暑苦しいものも嫌いだったし
子どもっぽいこともごめんだった
ボーイズとつくバンドは聴く気になれなかった
ザゼンも銀杏もテリヤキも
不潔そうで頭わるそうなバンドマンには興味がなかった
不潔そうで頭わるそうな男性は今だってごめんだけれど

小沢健二の新譜を聞いていた
素敵なオルガンは沖祐市なのかなと調べていたら
関連して峯田和伸と『ある光』をコラボしている動画があった
『ある光』自体が精製度が高くスピードが早く凍りついた水晶のように冷たい曲

雪がふる長岡駅の東口 高校の帰り道
終わりかけのルーズソックスを履いている女子は大抵ピンパーマの男の子と一緒に歩いていた
彼らの頭は驚くほど大きかったけど 大抵それらの男の子は可愛い顔をしていた
そういう子たちがGOING STEADYを聴いているという風俗は知っていた

冬の日 まだ中学生だった私
隣町に住む友だちに連れられて 知らない子たちが出るライブへ行った
私は原宿の古着屋で買ったファビットファーのショートコートを着ていたから寒い頃だったと思う
ステージの上で激唱している男の子はイケてなかったけど 歌っている曲は良かった
もしも君が泣くのなら僕も泣くと何度もシャウトする曲
コピーバンドだったことも全然知らなかった

金曜日の六本木
26時をまわった頃 オフィスに人は少なく 残った面子が誰ともなく誘い合った
レバ刺しが禁止された頃 六本木か赤坂付近で食事をしてからカラオケに入って朝まで歌った
毎週のことで誰が何を歌うかは大抵決まっていたし
カラオケではテキーラとレモンサワーしか頼まなかった
ある日誰かが聴きなれない曲を歌っていた 銀河鉄道の夜
すぐに上司と後輩の女子が歌う淋しい熱帯魚に掻き消えていった

東京スカパラダイスオーケストラと峯田和伸の『ちえのわ』
なんども自分の耳を素通りしていった峯田和伸の声を初めて自分の耳が捉えて胸をつかまれた
今だって認めたくない気がする
知恵の輪外して虚しくてまた元に戻した ばらばらにしたくない 離れたくないんだ
揃いの衣装も似合っている 股上の深い太くも細くもないセットアップ

春の玉川通り 
神泉の近く玉川通りから 山手通りへ降りる松見坂の方へ
信号待ち 駒場のあたり 隣り合った黒いかっこいい車の黒いかっこいいサングラスの男性と目が合った
助手席の友だちが「あ、スカパラの人だよ。背が高くてすごくかっこいい人なの」

小沢健二の『ある光』を小沢健二と峯田和伸が歌うのをどきどきしながら聴いていた
数ある小沢健二の楽曲からこの曲を峯田和伸が歌うのは当然だなと感じた
この精製度が高くスピードが早く凍りついた水晶のように冷たい曲は峯田和伸にぴったりだ
敬虔さ
僕のアーバン・ブルースへの貢献
語り はかなり恥ずかしかったけど

もしも君が泣くならば僕も泣くと歌っていた人は峯田和伸だった
ちえのわを書いた人は松見坂で隣り合ったサングラスの人だった
峯田和伸がGOING STEADYだったことを知って いくつかの動画を観たけど
解散を惜しむ人々のコメントを読んでゆく内に うまく白けて
掴まれていた胸の皺は徐々に緩んでいった

今 小沢健二を交差するふたりの女の子
満島ひかりは触れるもの全てを腐らせる 容れ物の中の水が濁っているそれが彼女の魅力
当然ラブリーも腐った それまで小沢健二が歌ったラブリーしか聴いてこなかった私は 腐ったラブリーを初めて聴いた
二階堂ふみは氷と水の入った鉛を含んだグラスに沈め入れた水晶のような声をしている
小沢健二と岡崎京子が経験した長い夜に透明な石ころになって転がっているような

許し
私は彼の古い友を許せず「ファックス隠す 雑誌記事も捨てる」ふうだったけれど
汚くなることも弱いことも離婚することも 消費することも消費されることも 目が見えないことも許された今
私は彼の古い友を許せた気がした 疎遠になっている自分の友も
許しという魔法がかかった曲だった


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