芸術と感情の記録」カテゴリーアーカイブ

灰色の記憶

January 6th, 2018

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 横浜から引っ越すときに、友人たちがくれたカード。久しぶりに見つけて、読んだ。確か、引越しまでの数日飾っていた時に写真も撮っていたはずだった、と探した。ちょっとホームシックな金曜の夜。

 今夜ふと戸川純の蛹化の女が聴きたくなって聴いてみている。ヤプーズとかも好きだった。よくよく思い出せば、私が高校一年生のころ、初めてインターネットで通販したのは、ゲルニカの何枚組かのCDだった。近所のレコード屋さんになくて、でも絶対欲しかった。

 寒い新潟の冬でゲルニカやベルアンドセバスチャンの暗い曲をよく聴いていた。灰色をした空に掛かる、黄色と黒の遮断機を見上げた時に唇に触れた雪の冷たさ。そんな一瞬の風景がフラッシュバックする。その時着ていた、古着のラビットファーのコートや、そのポケットから出てきた1セントコインのことも、この声を聴いてるとどんどん思い出してきた。

 98年ごろ通った原宿のパレフランスにあったHANJIROという古着屋さんは面白かった。広くて近未来的で宇宙的な(中学生の私にはそうみえた)明るい店内に、大量の古着が無個性の顔をして並んでいた。個性は選ぶ方に有り余っているから、そういう陳列がむしろありがたかった。まさに宝探しだった。

 私の通った長岡高校は制服がなかった。そして私はルールに従順な方ではなかった。かといって、ファーのコート禁止と校則に書いてあるわけではなかった。学校中から恐れられていた担任の体育教官に「体調管理の観点で、防寒として着ています」と屁理屈を言った。私は一番前の席だったが別に怖くはなかった。

 世界中から集めた美しいものリストがあれば、間違いなく選ばれるはずの、パッヘルベルのカノンの旋律に、勝手気儘な世界観が載っている。

* * *


月光の白き林で 木の根掘れば

蝉の蛹のいくつも 出てきし


不思議な草に寄生されて

飴色の背中に悲しみの茎が伸びる


* * *


 正統なる純潔さ、ローマングラスの銀化した欠片、大変希少な蜂蜜。そういうものを想起させる。
 もう今は2018年が来ようとしている。(2017.12.29)



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藤島武二の2017年の回顧展

January 4th, 2018

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 この夏に東京の練馬区美術館で行われた藤島武二の回顧展を私は敢えてパスして、秋深い小磯記念美術館で観ることを心待ちにしていたのだ。

 今日がその日だった。控えめな黒いタートルネックのセータに、ハイウエストのデニムを履いて、しっかりベルトをしめた。バーガンディーの口紅を塗って、腕時計をした。ピアスは最初、真珠をつけたが、思い直して小さなダイヤにした。あたたかい黒いコートに黒いバッグを持った。
 確かに秋は深まっていた。人気の少ない六甲アイランドにはかさかさの落ち葉がまばらに散っていた。コンクリートで固められた島には不思議な形の窓や、彩度の低いカラーをした中高層マンションが立っている。

* * *


 私は、これらの絵を、別の美術館で観たかった。絵が泣き出しそうだった。展示に、愛や敬意が無い。絵が収まっている額も、この時代にこの絵が収まるのに適していないものが多かった。装丁が良いものは大抵は個人蔵だった。それでも、私は絵を丹念に観た。絵に全く罪はない。じっくり一度観てまわり、二度目は好きな絵だけじっくり観て、別れがたい絵があったので三度目はそれだけを観た。

* * *


 藤島武二が教鞭をとった藝大の「藤島教室」の教え子だった小磯良平との比較をした展示は興味深かった。これは神戸独自の企画展示らしい。藤島は、ヴァーミリオン(朱)で生徒の絵に手を入れたという。小磯良平が在学時代に描いた『裸婦』の左耳や、右の乳房の稜線に残るヴァーミリオンは、アクセントとしても、エピソードとしても面白かった。

 小磯良平は美大生時代の父親が憧れた画家だ。父親曰く、垢抜けていて洒脱。確かに裸婦一つとっても構図や色調に奇をてらわない古典的なバランスの良さと抜け感がある気がした。在学中に描いた『彼の休息』も初めて観たが大好きな絵のひとつになった。“彼”の履く赤い室内履きから感じ取った、神戸生まれ神戸育ちの男の子のいかにも裕福そうな感じ(モデルは小磯の友人)。23歳の学生が描いたとは思えない。在学中から帝展(今の日展)に入選、特選。むろん首席で卒業で、むろん作品は学校買い取りだ。私は天才に弱い。特に気に入った裸婦のカードを買い求め、父親へ小磯良平記念館来訪を報告した。

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 話が小磯良平へ逸れた。

 順路を終えて、ショップに来たときに図録の見本を眺めた。よくよく考えたら生誕150周年記念なのに、『蝶』や『芳惠』などがなかった。これらの絵は70年代以降、世に出ていないらしい。“所有者もよくわからぬ中、今頃どこかで眠っている” といった内容のことが体よくふんわりと書かれていた。何かお伽噺にでも仕立てるつもりだろうか。私は悲しみ、泣きたくなり、図録の見本を置いて決してそれ買おうとはしなかった。

 代わりに、10年前にこの美術館で行われた『藤島武二と小磯良平展 ー洋画アカデミズムを担った師弟ー』の図録を購入した。この内容は今回の展示と同じものだった。考えたら藤島武二の回顧展を小磯記念館でやるのは自然な流れだったのだろう。でも、これらの絵は、環境などの見せ方を変えることでもっともっと良くなると思った。私は、これらの絵を、上野の西洋美術館で観たかった。私がとても好きな絵が、お金や愛やアイデアを受けられない形で、置かれていることが寂しかった。私はお手洗いで口紅を直してから美術館を出た。(2017.12.14)



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パール・バックの『大地』

December 2nd, 2017

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 母親が女学生のころ、夢中になって読みふけった大河小説。高校生か大学生のころ母親からもらって、私も夢中になった。先日帰省した折にふとまた読みたくなって、読んでいる。二段組で文字も小さくページ数も多いが、秋の夜長の良き友となっている。

 しかしどういうわけか、今回はこんな描写ばかりに目が行く。その挙句に、冬のタケノコやたっぷり太った椎茸、木から落ちた実のかたちの良い種を乾燥させた旬の銀杏、豚肉、海老などを買い込んで鍋いっぱいにうま煮を作り上げてしまった。

* * *


 農夫の王龍は、ある春の日、町にある黄家の屋敷で働く奴隷女を嫁にもらうことになった。花むこ自ら、黄家へ女を迎えに行く日から物語がはじまる。

 彼は市場へ寄って、豚肉を百五十匁ほど買い、肉屋が乾いた蓮の葉でそれを包むのを見守っていたが、やがてちょっとためらいながら牛肉を五十匁ばかり買った。葉っぱの上でゼリーのように震えている豆腐まで買いととのえた。

「豚肉と牛肉と魚だ。これを七人で食うだ。料理はできるだか?」
「わたしは黄家に買われたときからずっと台所働きをしていた。あそこでは食事のたびに肉を料理しますだよ」
王龍はうなずいて、彼女を台所に残したまま、客がくるまで行かなかった。
客らは、このりっぱなごちそうを夢中になって口も聞かずに食べた。
ひとりは魚にかかっている茶色いたれをほめ、ひとりは豚肉の料理をほめた。
彼女はこれだけの材料に、砂糖と酢と少量の酒としょうゆをまぜて、じょうずに肉の持ち味を十分に発揮させたのである。
王龍の妻になった女は阿藍といった。

 すぐに男の子どもが生まれた。

 女の大きな褐色の胸からは、赤ん坊のための乳が雪のように純白の乳がいきよいよくほとばしった。赤ん坊が片方の乳房を吸っていると、片方の乳房からは泉のように乳が流れ出た。彼女はそれを流れ出るままにしていた。時おり、着物を汚さぬために、地面にしぼり出した。乳は土にしみ込んで、やわらかい、黒い、豊かなしみを地面につくり出した。

 その正月、王龍は町へ行き、豚脂と白砂糖を買ってきた。
阿藍はその豚脂をねって白くしてから米の粉とまぜ合わせ、それに砂糖を加えて、りっぱな新年の菓子をつくった。これが月餅という菓子で、黄家のような富裕な家でなければ食べないものである。阿藍はその菓子の上に小さな赤や山はぜの実や緑色の干しぶどうをあしらって、花だの、いろいろな模様をつくった。いつでも蒸せるように、菓子が一片ずつテーブルの上に並べてあるのを見て、王龍は胸がはちきれるほど得意になった。

 やがて富を得た王龍は妾を取ることになった。

 彼は豚肉と牛肉と鮭とタケノコと栗を買い、吸物にするために南から来た燕巣とほした鱶のひれと、それから彼が知っているかぎりの菓子を買って、町の通りのどんつきにある花楼から来る蓮華という女を待った。

 王龍の富は次第に盤石となり、没落した黄家の屋敷を買い取り、そこに一家で住まうことになった。

 その頃になると王龍は、ぜいたくな食べものばかり食べたがった。むかしの彼は、にんにくの茎で巻いたパンでけっこう満足していたのであるが、いまは朝もおそくまで眠り、野良仕事をしないので、ありきたりのごちそうでは容易によろこばなかった。冬のタケノコ、小エビの卵、南国の魚、北海の貝、鳩の卵など、富裕の人たちが、おとろえた食欲を増進させるために食べるものを食べた。


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岡本神草の時代

November 22nd, 2017

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 父親に「京都で岡本神草の企画展がはじまったから観に行ってくれよ。それで図録も買っておいてくれ」と言われて「ハイハイ」と言って聞いていたが何度も催促するので、ちゃんと手帳に書いて予定した。
 ところがその日が来る前に、デートで京都へ行く機会があり、なかひがしの秋に舌鼓をうって南禅寺で紅葉を鑑賞した後、ふらふら歩いていたら、目の前が京都国立近代美術館だった。来週こようと予定していたけれど…タイミングが良かったので飛び込んだのだ。

 デカダンでちょっとエグめ?の芸姑たちの絵、は実はあまり食指が伸びていなかったのだが、ちょっと仰天した。はっきり言って何が良いのか説明できないのだが、作品から出る力が強い。

 特に冷気を感じたのが《「拳を打てる三人の舞妓」草案》と同じくその習作である《「拳を打てる三人の舞妓」習作》だ。草案は墨や木炭で紙に描かれたものだ。三人の舞妓が拳遊び(狐拳)を打つ姿の絵だが、その手元を幾様にも書き込んでおり線が混在している。この手元を描く複数の線が「時を歪めたような怪しさ」を呈している。スローモーションのようにコマ送りで描いたというと簡単すぎるが、いわゆるそういう事を言いたい。
 習作は絹本着色となっている。真ん中の舞妓の顔部分が切り貼りされたようになっており、白い枠で大胆にトリミングされたようになっている。これは習作だと分かって観ているのだが、作品の出す力が止めようもなく溢れてしまって収集がつかない。完結されていないからこそ、その勢いが終着点を与えられないまま、絵の中でそのまま無限ループのように渦巻いているような感じだ。

 この絵に関してしっかり解説を読み込むと、面白いことが書かれていた。
まず習作で真ん中の舞妓の顔がトリミングされているのは、母親の来訪により制作を中断せざるを得なくなり、全図を描ききれず中央部分のみを切断して出品したせい。そして、それを経てやっと完成させた作品からは、元の作品にあった神秘性を感じることは出来ない。とのことだ。これは鑑賞時にまさに自分自身で感じたことで、草案に近ければ近いほど、ぞっとする神秘性があった。その神秘性は中央に置かれた真っ白な徳利に集約されていて、その真っ白な徳利は奇妙に空間から浮き出して見え、更には、なで肩の首なし女に見えてきて危うく気分が悪くなる。展覧会のポスターに使われる絵は既に広告の段階で何度も目にするので、実際の作品を目の当たりにしたときに感動が薄れている場合と、逆に異常に惹かれる場合との2パターンがあると思っている。この絵は完全に後者であり、むしろ印刷物では表現できない何かで主に構成されているとさえ感じた。絵の大きさも関係しているのかもしれないが。

 その後の作品で目を引いたのが《五女遊戯》である。温かいお湯の中で血が滲んでいるような生温い生臭さを有するこの作品は、その浮遊感と、病的な感覚が絹に滲んでいる感じが良いと私は思ったのだが、「当時の画壇では到底受け入れられるはずもなかった(解説より)」そうだ。その理由は当時の画壇が「こぞってヨーロッパへ渡り、油絵具による写実の重厚さを実感して帰国した官展、国展、院展の中堅日本画家たちが、油絵具の真似をして鮮やかな色をわざわざ濁らせなくても、日本画の材料や技法を生かす道があるはずと、東洋絵画の古典に学び直そうとしていた(解説より)」からだそうだ。いやこういう画壇の動きというものは、後から考えると面白い結果をもたらすものなのだ。近代で評価されなかった絵を「良い」と思う人間が現代にいる。そしていずれまた「良くない」と言われ、それが続いてゆく。その議論が止まった時、以後議論が一切必要とされない本当の「名画」になるのか?この手のことを考えていると、絵の価値ってなんだろうと、脳みそが豆腐みたいになってゆく感覚がする。

 頼まれていたので当然図録も買ってきたのだが、帰宅して図録を開いて愕然とした。全くあのオーラを眼に再現できない。ポスターの件でも思っていたが、やはりそうだった。順路の前半で出てきた《秋の野》も《藤の花》も凄く綺麗で心が動いたのに、こんなにちっちゃく載せられては何もわからない。これはまずい、父親にどれだけ生の絵が凄かったか、そしてそれは図録からは伝わりづらい、ということを予めよくよく耳に入れておかないと。こんなことを話したくて父に電話をしたら、出掛けていて不在だった。母親がひとりでたこ焼きと寿司を買ってきてビールを飲んでいたらしいので、話し相手になってもらった。

 私の母親は武蔵美を卒業した後、しばらく日展の事務所で働いていた。当時ちょうど文展時代の回顧展をしていたらしく、仕事で大正時代の日本画作品に数多く触れていた。私が岡本神草について「ちょっとグロ系で正統派じゃないんだけど、よくわからないけど凄かった。なぜだろう」と話すと「力があるんだね」と。そうか、この人は力があるんだ、と妙に腑に落ちたのだ。母から、その時代の日本画に興味を持ったなら、とりあえず竹内栖鳳、川合玉堂と堂本印象を観てみたらいよと。この歴々は当時の画壇の中心人物だった。ただ画壇を牛耳っていただけじゃなく、気韻生動、本当に作品に力があった、堂本印象の襖など圧倒的だった、その場に釘付けになったと当時の瑞々しい感動を話してくれた。調べると京都に堂本印象美術館があるらしいので、春になったら行ってみたいと思う。

 図録の解説によると、岡本神草は絵専の卒業制作の《口紅》が竹内栖鳳の目に留まり「大變にいゝ繪だと思ふ。(中略)夫れは理知の閃きを全然忘却した渾然たる妖味のある艶麗さで…云々」と言わしめたことで全国デビューに至ったとのことなのだ。当時は京都画壇の首領ともいうべき竹内栖鳳だったらしい。

 またこんな面白いエピソードがある。当時、国画創作協会というのに出品された岡本神草の《口紅》と甲斐庄楠音の《横櫛》はよく比較の対象になるようだが、それぞれ土田麦僊と村上華岳の庇護を受けた。土田麦僊は《口紅》を村上華岳は《横櫛》を推薦した。両者は譲らなかったので間に入った竹内栖鳳によって別の作品が入選した。この話はとても興味深かった。というのも、この展覧会でも展示されていた甲斐庄楠音の《横櫛》を、私はちっともいいと思わなかったのだ。いやむしろ生理的に受け付けず、目を背けたと言っていい。そして同時に私は村上華岳にもピンとこない。逆に土田麦僊は大好きだ。これはもちろん個人の好みの範疇だが、範疇というのは機能しているのだ。岡本神草の絵は濃厚な官能性がありながらも、どこかがポンと抜けており、その穴にはどこか宗教めいた、人間離れした、説明できなさの気配がする。その浮世離れした点がこの人の作品にある種の清潔感を与えているような気がするのだ。逆に甲斐庄楠音の《横櫛》にはその穴がなく、風通しの悪い感じの雰囲気がする。土田麦僊は甲斐庄楠音の作品を「穢ない絵」と言ってしまっている。

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 後日、父親とこの件について会話することが出来た。その中で印象的だった話を羅列しよう。
「バレエの白鳥の湖は当時酷評されたんだ。振り付けがバレリーナの身体の美しさを表現していないと。でも今となっては古典になってるよね。一方でどの時代にも『時代が呼び合うような』作品って存在するんだよね。そういう作品って、圧倒的ではないんだ」「ま、でも『マニフィカトの聖母』みたいにどんな時代のどんな宗派の人がみても圧倒的な作品は存在すると俺は思うけどね。この歳になって俺の好みって結局、装飾的な部分が基準になってるんだって思ったんだ」「俺、『君にどれでも好きな絵画をあげる』って言われたら、やっぱりワイエスなんだよね。装飾的じゃないって?ディテイルなんだよ。ワイエスは。ぱっと見てそうは思わせないけどね」「あ、有元利夫の回顧展が関西でやってるはずだ。行ってくるといい、おまえは気にいるんじゃないかな」


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万年筆のサインペン

September 20th, 2017

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 サインペンで物を書くことが好きな人というのがいます。特にアイデアを出すことを仕事にしている人に多いような気がします。しかもその場合大抵が青インキです。
私はあまりサインペンを使いません。なんとなく消耗が早い感じと、それに伴う不経済な感じがなんとなくあったからかもしれません。逆にいうと、コンバーターカートリッジの万年筆を使うのが好きです。カキモリというメーカーのローラボールのコンバーター式の万年筆が欲しいと思っているのですが、在庫薄な上、どこにでも売っているわけではなさそうで、かといって積極的努力もしないまま、ぼーっとしていました。

 そんな中、先日、ヨドバシカメラの文具売り場をうろうろしていたら、プラチナムから出いているプレピーという300円ほどの万年筆が目に入ってきた。なんとペン先がサインペンのシリーズがあるのだ。珍しいもの好きの私はすぐに飛びついた。プラチナムは独自の「スリップシール機構」によってペン先が乾きづらくなっているらしい。だからサインペンも展開できるのか? コスパは良いのだが、安さゆえ胴がエコロジカルなデザインになっている。これでは使えないので(見た目の問題で)、ハテどうしようと思っていたら下の方に、同じプラチナムの、更に一つ上位の下位モデル(プレピーからしたら上位だが、普通の万年筆としては下位モデルという意味)「プレジール」が並んでいた。1000円程度で買える。その中の「#98 ガンメタル」というのが一瞬で気に入った。プレジールにはサインペンのペン軸のシリーズは無い。オマケにデフォルトは使い捨てカートリッジだ(使い捨てカートリッジっていうのも何故かあまり好きになれない)。となれば…プレピーのサインペンの軸を、プレジールの軸に付け替えたらいいと思いついた。同じプラチナムの万年筆なら、ペン先のスクリューもはまるはずだし、コンバーターの別売りだってきっとある、と思い店員さんに確認すると、私が考えていることは全て実現可能であるということだった。サインペンの替芯もあると。更には「今度メーカーの人が来たら、こんな面白い使い方をしているお客様がいると報告します!」という励ましの言葉までもらったのだ。「ええ。私はお金はありませんが、アイデアだけはあるんですよ」と、調子に乗ってうまいことを言ってみせた。

 私はかなり満足して、プレピーのサインペン万年筆と、#98 ガンメタルのプレジールと、プラチナム共通コンバーターと、用心のための替芯を、しめて2000円足らずで購入し、絵に描いたようなほくほく顔で帰路についたのです。そして早速、ご愛用のセイラーのブルーブラックを充填して万年サインペンを使い始めています。



追伸:プレピーのエコロジカルなペン軸の印字はポリッシュリムーバーにて消すことが出来ます。リムーバーを使った後はネイルオイルを塗布してなじませるとツヤが戻ります。プラチナムの人には申し訳ないですが、印字を消せば幾分気分はマシになります。プレジールについていた万年筆のペン軸を空いたプレピーにはめて使っています。


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