食卓の風景」カテゴリーアーカイブ

間引きのマンゴー

July 25th, 2014

IMG_6659 IMG_6665  世にも可愛い、宮古島の間引きのマンゴーです。本土出荷用の大きくて立派なマンゴーを作るため、間引かれてしまうミニマンゴー、蜜柑のように赤いネットに10個ほど入っています。青いままブラ下がっているのは、島バナナです。沖縄のバナナで熟れるまで引っ掛けておきます。熟してくると黄色くなり、茹でダコのように身が外に反り返るそうです。

 早速マンゴーを剥いて食べました。とっても甘く酸っぱく乳製品のようなまろ味がありました。口に含むと一瞬、発酵したイーストのような香りがしました。パンの木の実を食べたことはないけれど、こんな味だったらいいなと思いました。島バナナはまだ熟すのを待っています。話によると皮は薄く、甘いだけではなく酸味があるという噂です。初めて食べるのを今からとても楽しみにしています。

 三つ子の魂百まで、というのは人だけではないみたいです。野菜も果物も三つ子でもしっかり美味しい。生まれたての才能の純な部分をまるごと頂いてしまうのは、少し残酷ですが、エネルギーの純粋さがちょっと大人とは違う気がします。何度か書いていてしつこいほどですが、私はインゲンもイカもほうれん草も葱も細くて小さいうちのものが好きです。三つ子は料理した時に「ああ、旨い」と思います。太陽の方へ方へと伸びようとするパワーを貰った気がして気持ちもせいせいしてきます。

 南国の果物を食べると身体を冷やすと言われています。いつ頃言われていたことかわかりませんが、ここ最近では日本も大層暑く、南国のような状況になっています。瓜やトロピカルフルーツなどは南国の人々の乾きや熱を癒してくれます。日本は夏は暑く冬は寒いです。夏は熱を下げる食べ物を、冬は熱を上げる食べ物を身体が自然と求めるはずです。しかし一方身体は常に温めた方がいいという健康情報もあり、私の主義は錯綜してます。この盛夏の最中、マンゴー片手にスイカを弄びながら、シッカリと腹巻きをまいている状況となっています。


***

瓜の食べ方

July 11th, 2014

IMG_5571  瓜であれば大抵好きです。身体がスイカを求める季節になりました。内なる熱と乾きに求められるままに、スイカを買わされて、食わされています。

 私はスイカの種を全て取り除いてから食べる子どもでした。ほじくり出してぐちゃぐちゃになってしまってから食べるのです。死んだ母の母もそうだったと母に聞きました。種なんて御構い無しにかぶりつく、近所に住む「パーマ屋のおばちゃん」を信じられない思いと多少の侮蔑を持って見ていた、その感覚だけを覚えています。しかし本当は小さいことを気にせずにかぶりつくような人にも憧れてやってみるのですが、やはり心の底からは楽しめないのです。今でも、見えるとこだけは取り除き、慎重に噛み、口の中で種を探しながら食べます。右手を軽く握っておいて、親指と人差し指の間にできる穴に吐き出しながら食べます。この作法は母に習いました。ちなみに夫は「種なんて飲む」というのです、聞いただけで目が白黒してしましました。

 そういえば、新潟の実家では、夏にスイカを食べたら皮を錦鯉の池に放り込んでいました。いつの間にか跡形もなくなっていましたから鯉が食べるのだと思います。よく知りませんが鯉には瓜の皮を与えるものなのでしょうか。鯉にとっても火照った身体をさます夏のオヤツなんでしょう。

 メロンにも目がありません。八百屋で網目の美しさに目を奪われました。口にふくんで、柔らかい網のような繊維から絞りだす甘い汁に喉が染みるのを想像し、しばしそこに立ち尽くしてぼうっとしてしまいました。奮発して買ってみたのに美味しくなかったので牛乳と蜂蜜を入れてジュースにしました。蜂蜜の味が買って「蜂蜜セーキ」になってしまいました。こういう時はアカシアの蜂蜜にしなくてはいけません。今回は菩提樹の蜂蜜でした。


***

ジャスミンの香り

May 6th, 2014

IMG_2694  ジャスミンが咲く季節です。一重の小さな花が群れて咲いている姿は無垢で可憐ですが、夜、重く甘い香りに誘われるとふと、後ろめたい感情がよぎるような、そんな気になります。

 煎茶にジャスミンの花をひとつ、入れてジャスミン茶にしてみました。

 煎茶の香りの穂先に、ジャスミンの甘さが軽く乗っているようなさり気なさ。ツンとしたところがなく横広がりの甘い香りが、渋みのない新茶のまろみと違和感なく一緒になっています。立ち昇る湯気に、ジャスミンの蔓が巻きつくがごとく、縦横に香りの存在感が広がってゆき、半径15センチで、ひとつにまとまって収まります。

 若草色の茶の水面にに薄桃色の花びらがくるくると舞っている、急須では唐子たちがにこにこ踊っている。素敵な夜の香りです。


***

カルペップのトルティージャ

April 24th, 2014

IMG_2249 IMG_2255  バルセロナで食べたカルペップ(Cal Pep)というバルのトルティージャは、人生ベスト5に入る料理でした。

 トルティージャとはスペイン風のオムレツのことです。私の想像していたスペイン風オムレツは、ほうれん草やベーコンや玉ねぎなどが入っていてシッカリ焼いてあり、冷めても美味しい、が、若干カスカスしている。というものでした。ここのトルティージャは全く違うものです。中はトロトロで柔らかい、卵とじゃがいもが境目をなくしてペースト状になっています。そして上からアリオリというマヨネーズにニンニクが入ったソースが塗られています。とにかくこれ味が旨いんです。若干の燻製の香りがあるので、腸詰めのサラミかベーコンが入っているかもしれません。卵とじゃがいもがやわやわとして頼り無いところを、このマヨネーズとニンニクのコクが、うまく丸め込んでモノにしているという感じです。

 トルティージャはカルペップの名物料理ということで、迷いなく取ったのですが、あまりの旨さにのけぞり、正気を失ったまま一瞬で平らげてしまいました。美味しいものはたくさん食べてはいけない、というルールがありますが、ここで我慢したら、次にこれが食えるのいつなのかと冷静に判断して、2皿目をおかわりしました。

 オープンカウンターになっているので、2度めのオーダーをしてからはトルティージャが出来る過程を冷静に、じっと観察していました。大きなボールに作られている「タネ」をホイッパーでよく混ぜてから、小さい鉄のフライパンに流し込み多めの油で揚げるように焼いて、早めに火からおろして皿にあげ、2センチくらい深さのある紙皿をその上に載せて、2分ほど蒸らしている様子でした。2度めのトルティージャは幾分落ち着いて、味などを確認して食べました。私が食べながら作り方や味を説明している様子はビデオにも収めておきました。

 これを目指して何度か作っているのですが、なかなかうまく行きません。でもアリオリをかけると、なんとなくバルセロナで食べた味が蘇ります。写真のようにカルペップ風じゃない、いわゆるスペイン風オムレツにもアリオリをかけると美味しいです。ぜひ試してみてください。日本のマヨネーズだと酸味が強いので、手作りをなさるか、酸味が少ないマヨネーズを選んですりおろしニンニクを混ぜてみてください。


***

牡蠣的な人間

April 14th, 2014

IMG_1478  「牡蠣的な」という言葉は、夏目漱石の造語でしょうか。

 『吾輩は猫である』に出てくる「牡蠣的主人」のことです。同じことを7,8年前に調べたのですが、インターネットに情報はありませんでした。この冬にまたふと、気になって調べたらいくつか情報が出てきていました。これは英語のoyster「牡蠣、または、無口な人」を、夏目漱石が大胆に訳したものなのだそうです。この夏目漱石のセンスには脱帽しますが、そもそも無口な人をoysterというのはいかがなものでしょうか。要は二枚貝ならいいんでしょう。もっと別の特徴のない二枚貝をあてがうべきです。シャコガイ的だとかタイラガイ的だとかマテガイ的だとか(どんどん好物になってゆくのでこれくらいに・・・)。牡蠣というのはもっと「繊細な、ナイーブな、傷みやすい」なんかいう印象が先立つ気がします。現に当初私は「牡蠣的主人」を「傷つきやすい主人」と勝手に翻訳していました。

 さて、春に浮足立っていたら冬が終わってしまったので急いでこれを書いています。スーパーで買ってきたばかりの牡蠣は幾分泥色をしており、ところどころに藻のような緑色のカスを帯びています。牡蠣は藻を食べているんですね。塩と片栗粉でもってやさしく指の腹で撫で回し、水で何度かすすぐと、うっすらと青みがかった腹と綺麗なヒダヒダが水の中でしっかりした輪郭をもって現れます。この繊細だけれども割りにはっきりした淡白と水の輪郭や、真っ白い内側のヒダ、焦げ付いたような外側のヒダを見ていると、傷つきやすい人間を見ているようです。融け合うわけでもなく、鮮やかなコントラストというわけでもありません。


***